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讃岐の霊場(涅槃の道場)其の弐 74番〜80番

七十四番札所「甲山寺」 Kouyama_ji   2017.3.17 参拝

七十四番札所「甲山寺」

寺名称医王山 多宝院 甲山寺(いおうざん たほういん こうやまじ)
住所香川県善通寺市弘田町1765-1
開基・創建弘法大師・平安時代初期
宗派真言宗 善通寺派
御本尊薬師如来(伝弘法大師作)
本尊真言おん ころころ せんだり まとうぎ そわか
ご詠歌十二神味方に持てる戦には 己と心兜山かな
御朱印

◆ 出釈迦寺から善通寺に向かう県道を行くと、道の左に小高い山がある。山の名は甲山(かぶとやま)、寺はその東側にある。弘仁の頃、甲山を歩いていると、麓の岩窟から老人が現れ「私は昔からここに住み、人々に幸福と利益を与え、仏の教えを広めてきた聖者だ。ここに寺を建立すれば私がいつまでも守護しよう。」と言いました。弘法大師は大変喜び、毘沙門天像を刻んで岩窟に安置し、供養したそうです。その後大師は近くの満濃池の築堤を朝廷から命ぜられ、この地に赴任して、至難といわれた業を成し遂げた。その労に対して朝廷から賜った二万銭の一部で、老人の現れた甲山の麓に堂塔を建て、甲山寺と名づけて自刻の薬師如来を本尊として安置した。正面に本堂があり、左が大師堂、鐘楼、毘沙門天の岩窟があり、岩窟は間口2.5m、奥行き3m程で正面に毘沙門天石像が安置されている。

七十四番甲山寺 七十四番甲山寺 七十四番甲山寺 七十四番甲山寺 七十四番甲山寺
山門境内から山門境内にある山門手水舎本堂
七十四番甲山寺 七十四番甲山寺 七十四番甲山寺 七十四番甲山寺 七十四番甲山寺
大志堂毘沙門堂鐘楼修行大師像子安地蔵
七十四番甲山寺 七十四番甲山寺 七十四番甲山寺 七十四番甲山寺
親子地蔵尊淡島大明神日本遺産「四国遍路」納経所

七十五番札所善通寺 Zentsuu_ji   2017.1.10 参拝

七十五番札所善通寺

寺名称五岳山 誕生院 善通寺(ごがくざん たんじょういん ぜんつうじ)
住所香川県善通寺市善通寺町3-3-1
開基・創建弘法大師・大同2年(807)
宗派真言宗 善通寺派
御本尊薬師如来
本尊真言おん ころころ せんだり まとうぎ そわか
ご詠歌我すまばよもきゑはてじ善通寺 ふかきちかいの法のともしび
御朱印

◆ ここは真言宗善通寺派の総本山。高野山、京都の東寺と共に弘法大師三大霊跡の一つである。善通寺は大師の父、佐伯善通(よしみち)卿が寄進したこの境内地に、大師が般若三蔵より請求したインド八塔の霊土を敷き、恩師恵果阿闍梨の青龍寺に模して伽藍を建立、六年をかけて弘仁四年に落成。寺の背後には香色山、筆山、我拝師山、中山、火上山の五峰があるところから山号を五岳山、父君の名をとって寺号を善通寺とした。境内は東院(伽藍)と西院(誕生院)に分かれ、門は東門(赤門)と南門(大門)、西院へは仁王門がある。南大門を入ると右に五重塔、釈迦堂、正面に金堂(薬師堂)がある。高さ45mの五重塔は大師が五智如来と仏舎利を納めて建立したが、何度かの火災で焼失、現在の塔は明治17年に3度目の落慶したもので、総欅で全国有数の大塔である。金堂(本堂)は七間四面の二層造り、周囲は善女龍王社、、大師手掘りの井戸、運長作の釈迦如来を祀る常行堂。法然上人の逆修の塔、足利尊氏の利生塔等がある。中門(仁王門)からは大師ご誕生の西院。門から回廊を行くと御影堂、礼堂、中殿、供養殿、奥殿となっているが、礼堂と中殿は大師の父善通卿の館の跡、奥殿は母玉依御前の館跡。御影堂の地下には全長90mの暗黒の中を行く”戒壇めぐり”がある。

七十五番善通寺 七十五番善通寺 七十五番善通寺 七十五番善通寺 七十五番善通寺
仁王門密迹金剛那羅延金剛仁王門を西院から大志堂(御影堂)
七十五番善通寺 七十五番善通寺 七十五番善通寺 七十五番善通寺 七十五番善通寺
手水舎焼香所仁王門から
大志堂への回廊
親鸞堂親鸞上人御尊像 由来
七十五番善通寺
西院、仁王門から大志堂、御影堂
七十五番善通寺 七十五番善通寺 七十五番善通寺 七十五番善通寺 七十五番善通寺
善通寺境内案内図駐車場からの正覚門護摩堂
七十五番善通寺 七十五番善通寺 七十五番善通寺 七十五番善通寺 七十五番善通寺
地蔵堂鐘楼聖天堂光明殿ビルマ戦没者慰霊塔
七十五番善通寺 七十五番善通寺 七十五番善通寺 七十五番善通寺 七十五番善通寺
遍照閣遍照閣説明七福神怨親平等の碑
七十五番善通寺 七十五番善通寺 七十五番善通寺 七十五番善通寺 七十五番善通寺
蛙の謂れ地蔵堂納経所宝物殿

七十五番善通寺 七十五番善通寺 七十五番善通寺 七十五番善通寺 七十五番善通寺
南大門と五重塔南大門を境内から赤門本堂(金堂)手水場
七十五番善通寺 七十五番善通寺 七十五番善通寺 七十五番善通寺 七十五番善通寺
鐘楼五重大塔五重大塔説明花蔵院
七十五番善通寺 七十五番善通寺 七十五番善通寺 七十五番善通寺 七十五番善通寺
三帝御廟三帝御廟説明佐伯祖廟佐伯祖廟説明観智院
七十五番善通寺 七十五番善通寺 七十五番善通寺 七十五番善通寺 七十五番善通寺
観智院説明弘法大師誕生時からの大楠大楠説明五百羅漢五百羅漢像
七十五番善通寺 七十五番善通寺 七十五番善通寺 七十五番善通寺 七十五番善通寺

七十六番札所金倉寺 Konzou_ji   2017.3.17 参拝

七十六番札所金倉寺

寺名称鶏足山 宝幢院 金倉寺(けいそくざん ほうどういん こんぞうじ)
住所香川県善通寺市金蔵寺町1160
開基・創建和気道善・宝亀5年(774)
宗派天台寺門宗
御本尊阿弥陀如来
本尊真言おん ころころ せんだり まとうぎ そわか
ご詠歌まことにも神仏僧をひらくれば 真言加持の不思議なりけり
御朱印

◆ 昔の讃岐の那珂郡と多度郡は昔から優れた人物が輩出している。多度郡弘田郷の豪族であった佐伯一門からは、弘法大師や知泉、円珍(智証)、真雅(法光)等の高僧を輩出した。中でも智証大師は善通寺から3キロの金倉郷に弘法大師の姪を母として弘仁5年に生まれた。つまり弘法大師の甥にあたる。金倉寺は智証大師の祖父・和気道善によって宝亀5年(774)に開創された寺で、道善寺と称していた。智証大師は唐から帰国後暫くこの寺に住まい、先祖の菩提にと、唐の青龍寺に模して伽藍を造営した。仁寿元年(851)には勅願寺となり延長6年(928)に醍醐天皇が金倉の郷にあるとのことで金倉寺と改称した。その頃の寺は南北8キロ、東西4キロの広大な境内と132の僧坊があり盛んであったが、建武の争乱、永正、天文の兵火で次第に縮小した。本尊は智証大師作の薬師如来。本堂左の詞梨帝母堂は鬼子母神を祀ったもので、鬼子母神が日本で最初に出現したものだそうである。金倉寺は明治時代、乃木大将が善通寺の第十一師団長のとき、この寺に2年7か月、下宿していたことでも有名である。

七十六番金倉寺 七十六番金倉寺 七十六番金倉寺 七十六番金倉寺 七十六番金倉寺
仁王門密迹金剛那羅延金剛智証大師誕生地
訶梨帝母堂
仁王門を境内から
七十六番金倉寺 七十六番金倉寺 七十六番金倉寺 七十六番金倉寺 七十六番金倉寺
本堂大志堂焼香所手水舎智証大師供養塔
七十六番金倉寺 七十六番金倉寺 七十六番金倉寺 七十六番金倉寺 七十六番金倉寺
入山大師像(智証大師)訶梨帝母堂大聖歓喜天乃木将軍銅像石碑乃木将軍銅像
七十六番金倉寺 七十六番金倉寺 七十六番金倉寺 七十六番金倉寺 七十六番金倉寺
一太郎親子松乃木将軍妻返し松乃木将軍袖章記日本遺産「四国遍路」納経所
七十六番金倉寺 七十六番金倉寺 七十六番金倉寺
お砂踏み道場 〃 内部

七十七番札所道隆寺 Douryuu_ji    2017.3.17 参拝

七十七番札所道隆寺

寺名称桑多山 明王院 道隆寺 (そうたざん みょうおういん どうりゅうじ)
住所香川県仲多度郡多度津町北鴨1丁目3番30号
開基・創建和気道隆・和銅5年(712)
宗派真言宗 醍醐派
御本尊薬師如来
本尊真言おん ころころ せんだり まとうぎ そわか
ご詠歌ねがいをば仏道隆に入りはてて 菩提の月を見まくほしさに
御朱印

◆ ゆったりとした境内で、仁王門脇の池の中で、石地蔵が噴水を浴びている。この道隆寺は「鴨のお大師さん」とも呼ばれている。山号にもある通り、昔この辺りは一大桑園であったそうである。縁起によると、和銅5年、この地方の領主、和気道隆公が桑の大木を切り、小さな薬師如来像を彫造し、草堂を建てたのが寺の初めといわれる。道隆公は、周囲5メートル近い桑の大木が、夜ごと妖しい光を放っているのを見た。この光を怪しみ矢を射ると、女の悲鳴があり、乳母が倒れて死んでいた。嘆き悲しんだ道隆公は、その桑の木で仏像を彫り、草堂に安置して供養すると、不思議にも乳母は生き返ったという、その後弘法大師が薬師如来を刻み本尊とした。朝祐公は大師から授戒をうけて第2世住職となり、先祖伝来の財産を寺の造営にあてて七堂伽藍を建立、寺名は創建した父の名から「道隆寺」と号した。

七十七番道隆寺 七十七番道隆寺 七十七番道隆寺 七十七番道隆寺 七十七番道隆寺
仁王門密迹金剛那羅延金剛境内からの仁王門手水舎
七十七番道隆寺 七十七番道隆寺 七十七番道隆寺 七十七番道隆寺 七十七番道隆寺
本堂大志堂鐘楼潜徳院殿堂弘法大師
千五十回忌之塔
七十七番道隆寺 七十七番道隆寺 七十七番道隆寺 七十七番道隆寺 七十七番道隆寺
北門北門を境内から妙見宮納経所淡島堂
七十七番道隆寺 七十七番道隆寺 七十七番道隆寺 七十七番道隆寺 七十七番道隆寺
修行大師様と衛門三郎日本百観音カン頂堀もどり観音愚痴きき地蔵
七十七番道隆寺 七十七番道隆寺 七十七番道隆寺 七十七番道隆寺 七十七番道隆寺
仏足跡仏足跡説明交通安全観音加茂稲荷大明神

七十八番札所郷照寺 Gousyou_ji    2017. 2.16 参拝

寺名称仏光山 広徳院 郷照寺(ぶっこうざん こうとくいん ごうしょうじ)
住所香川県綾歌郡宇多津町1435
開基・創建行基菩薩・神亀2年(725)
宗派時宗
御本尊阿弥陀如来
本尊真言おん あみりた ていせい からうん
ご詠歌踊り跳ね念仏唱う道場寺 拍子を揃え鐘を打つなり
御朱印

◆ 宇多津町は、かって金毘羅参詣の船で賑わった丸亀、多度津港は有名であったが、この宇多津も”津の郷”と呼ばれ、古くから開けていた港町である。南北朝時代には守護細川頼之の根拠地としても栄えたところ。往時から港町として栄え、高僧・名僧との由縁が深い霊場である。地元では「厄除うたづ大師」と呼ばれ、また、四国霊場で唯一「時宗」の霊場である。弘法大師が唐に渡る時、ここの海上を通ると、夢の中に阿弥陀如来が現れて「なんじ帰朝の後、この地の一茎二枝の大樹で二像を作れ。その一像は我、一像はなんじなり」大師は帰朝後、ここに来て阿弥陀如来夢告の大樹で、二像を刻んで近くのここ行基菩薩開基の道場寺にこれを納めた。大師が自像を納める時「末世のわが信者、この地に詣で、法のごとく信仰せば、如何なる願いも一願は成就せしめん」と言われたことで、それからここのお大師さんは”日切り大師”と呼ばれる様になったのである。ある時時宗の一遍上人がこの寺に来られ、堂宇を修復して念仏の道場として、江戸初期になって宗派が時宗となった。

七十八番郷照寺 七十八番郷照寺 七十八番郷照寺 七十八番郷照寺 七十八番郷照寺
山門郷照寺案内駐車場から境内へ大志堂手水舎
七十八番郷照寺 七十八番郷照寺 七十八番郷照寺 七十八番郷照寺 七十八番郷照寺
鐘楼釣鐘と龍神さま大志堂への石段大志堂淡島明神堂
七十八番郷照寺 七十八番郷照寺 七十八番郷照寺 七十八番郷照寺 七十八番郷照寺
大志堂前の
万躰観音洞地下入口
万躰観音洞内部淡島大明神修行大師
波切不動明王
讃岐の三大
ぽっくりさま
七十八番郷照寺 七十八番郷照寺 七十八番郷照寺 七十八番郷照寺 七十八番郷照寺
常盤明神納経所庚申堂以空上人と天女のお話日本遺産「四国遍路」
七十八番郷照寺

七十九番札所天皇寺 Tennou_ji    2017. 2.16 参拝

七十九番札所天皇寺

寺名称金華山 高照院 天皇寺(きんかざん こうしょういん てんのうじ)
住所香川県坂出市西庄町天皇1713-2
開基・創建弘法大師・天平年間(729〜749)
宗派真言宗 御室派
御本尊十一面観世音菩薩
本尊真言おんまか きゃろにきゃ そわか
ご詠歌十楽の浮世の中をたずねべし 天皇さえもさすらいぞある
御朱印

◆ 日本武尊の第五皇子・武殻王は八十八人の兵を軍船に乗り込ませ、内海に迷い込んだ悪魚退治に乗り出した。船は悪魚の毒気で倒れてしまう。この時横潮明神が泉の水を持って現れそれを飲むと回復した。以来泉の水を八十八の水とも、矢蘇場の水とも言うようになる。大師が弘仁年間(810?24)にこの地方を訪ね、弥そ場という沢水が落ちる霊域にきた際、ひとりの天童が現れて閼伽井を汲み、大師にしたがい給仕をした。この天童は、金山を鎮守する金山権現であった。天童は、永くこの山の仏法を護るようにと誓って、持っていた宝珠を大師に預けた。大師はこの宝珠を嶺に埋めて仏法を守護し、その寺を摩尼珠院と号した。大師はまた、弥蘇場の霊域にあった霊木で本尊とする十一面観世音菩薩をはじめ、脇侍として阿弥陀如来、愛染明王の三尊像を彫造し、堂舎に安置した。この本尊の霊験が著しく、諸堂が甍をならべ、境内は僧坊を二十余宇も構えるほどであった。

七十九番天皇寺 七十九番天皇寺 七十九番天皇寺 七十九番天皇寺 七十九番天皇寺
三輪鳥居天皇寺石板本堂大志堂手水舎
七十九番天皇寺 七十九番天皇寺 七十九番天皇寺 七十九番天皇寺 七十九番天皇寺
旧大志堂高照院御神馬御神木「楠木」御神木「楠木」
七十九番天皇寺 七十九番天皇寺 七十九番天皇寺 七十九番天皇寺
白峯宮御神木「招魂の木」御神木「やぶつばき」納経所

矢蘇場(八十場)の水

七十九番天皇寺 七十九番天皇寺 七十九番天皇寺 七十九番天皇寺 七十九番天皇寺

第八十番札所国分寺 Kokubun_ji      2017.2.16 参拝

第八十番札所国分寺

寺名称白牛山 千手院 国分寺 (はくぎゅうざん せんじゅいん こくぶんじ)
住所香川県高松市国分寺町国分2065
開基・創建行基・天平13年(741)
宗派真言宗 御室派
御本尊十一面千手観世音菩薩
本尊真言おん ばさら たらま きりく
ご詠歌国を分け野山をしのぎ寺々に 詣れる人を助けましませ
御朱印

◆ 聖武天皇の勅令で建立した一国一寺の国分寺である。仁王門を潜って入ると境内は広く、両側に八十八ヶ所ご本尊の石像がずらり並んでいて、右側には七重塔跡があり、十五個の礎石が残っている。正面の本堂は鎌倉中期に建てられ、全国の国分寺中、最も古い建物と言われている。また山門脇には七重塔の礎石も残っており、現存していれば京都、東寺・五重塔を超す大塔だったと言われています。この本堂と鐘楼だけが長宗我部の兵火から免れ、共に国の重要文化財に指定されている。中でも梵鐘は高さ1.3m、直径90cm、厚さ10cm、重さ1tonで全国の梵鐘では最も古いものの一つといわれている。この鐘には数々の伝説があり、中でも当時の領主、生駒一正が場内の時鐘にしようとして、家臣300人を使って運び込んだが、音は鳴らず以来場内に様々な怪異が起こったので、寺に返したところ10人の人夫で楽々と帰り、再び美しい音色が聞こえるようになったという伝説が残っています。

八十番国分寺 八十番国分寺 八十番国分寺 八十番国分寺 八十番国分寺
仁王門密迹金剛那羅延金剛仁王門、境内より国分寺縁起略記
八十番国分寺 八十番国分寺 八十番国分寺 八十番国分寺 八十番国分寺
国分寺由来本堂本堂説明大志堂手水舎
八十番国分寺 八十番国分寺 八十番国分寺 八十番国分寺 八十番国分寺
焼香所鐘楼梵鐘説明梵鐘重文梵鐘石柱
八十番国分寺 八十番国分寺 八十番国分寺 八十番国分寺 八十番国分寺
閻魔堂千体地蔵堂願掛け金箔大師稚児大師修行大師様
八十番国分寺 八十番国分寺 八十番国分寺 八十番国分寺 八十番国分寺
仏足石北向地蔵成満大師願掛け不動明王延命地蔵尊
八十番国分寺 八十番国分寺 八十番国分寺 八十番国分寺 八十番国分寺
お願い弁財天願掛け縁結び福龍福龍(木のオブジェ?)納経所
八十番国分寺 八十番国分寺 八十番国分寺 八十番国分寺 八十番国分寺
ミニ八十八ヶ所
阿波・発心道場
土佐・修行道場伊予・菩提道場讃岐・涅槃道場一番・霊山寺〜
八十番国分寺 八十番国分寺 八十番国分寺 八十番国分寺 八十番国分寺
〜八十八番大窪寺七堂伽藍礎石群七堂伽藍礎石群

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参考文献:徳島新聞社刊「四国霊場の旅」