▲TOPへ戻る

ベイシー写真館

■四国88ヶ所霊場

■板東俘虜収容所

■メインメニュー

■徳島県の他の古城跡

讃岐の霊場(涅槃の道場)其の参 81番〜88番

八十一番札所「白峯寺」 Shiromine_ji    2017. 2.16 参拝

八十一番札所白峯寺

寺名称綾松山 洞林院 白峯寺(りょうしょうざん どうりんいん しろみねじ)
住所香川県坂出市青海町2635
開基・創建弘法大師、智証大師・弘仁6年(815)
宗派真言宗 御室派
御本尊千手観世音菩薩
本尊真言おん ばざらたらま きりく
ご詠歌霜寒く露白妙の寺のうち 御名を称ふる法の声々
御朱印

◆ 香川県の五色台は黄峰、白峰、紅峰、青峰、黒峰の五峰からなっているのでこの名がある。その最も西寄りにある白峰(337m)に白峯寺があるが、また崇徳天皇の御陵があることでも有名である。弘法大師と大師の妹の子と言われる智証大師が創建されました。白峯寺といえば有名な物語が二つあり「啼けばきく きけば都の恋しきに この里過ぎよ山ほととぎす」これは保元の乱で破れ讃岐へ流された崇徳上皇の句と、三年後、上皇と親しかった西行法師が詣でた話は上田秋成作「雨月物語」の伝説で有名です。その後も都では異変が相次いだため、後小松帝は上皇の霊を祀る法華堂に「頓証寺殿」の勅額を奉納。また、悲話を伝える玉章木(たまずさのき)も佇んでいます。境内の山門は珍しい形の門で、棟が七つあるところから”七棟門”と呼ばれている高麗門形式のもの。門を入ると左に茶堂、宝物館、右に本坊、納経所があり、参道を左に折れると勅額門で、ここを入ると崇徳天皇の御廟所、頓正寺殿である。勅額門の手前を右に石段を登ると右に鐘楼、左に薬師堂、行者堂、阿弥陀堂が 階段状に建ち、本堂は石段を登りきったところにある。

四国遺産「白峯寺」
八十一番白峯寺 八十一番白峯寺 八十一番白峯寺 八十一番白峯寺 八十一番白峯寺
山門(七棟門)七棟門説明本堂大志堂本堂・大志堂説明
八十一番白峯寺 八十一番白峯寺 八十一番白峯寺 八十一番白峯寺 八十一番白峯寺
手水舎鐘楼薬師堂廻向堂行者堂
八十一番白峯寺 八十一番白峯寺 八十一番白峯寺 八十一番白峯寺 八十一番白峯寺
阿弥陀堂阿弥陀堂説明水子地蔵尊仏足石瑜キ塔
八十一番白峯寺 八十一番白峯寺 八十一番白峯寺 八十一番白峯寺 八十一番白峯寺
十三重石塔(重文)十三重石塔説明弁財天玉章の木玉章の木説明
八十一番白峯寺 八十一番白峯寺 八十一番白峯寺 八十一番白峯寺 八十一番白峯寺
白峯寺客殿門白峯寺客殿説明納経所(護摩堂)

頓正寺殿

八十一番白峯寺 八十一番白峯寺 八十一番白峯寺 八十一番白峯寺 八十一番白峯寺
勅願門頓正寺殿崇徳上皇御陵西行像相模坊大権現
日本八天狗の一狗

八十二番札所根香寺 Negoro_ji    2017. 2.16 参拝

八十二番札所根香寺

寺名称青峰山 千手院 根香寺(あおみねさん せんじゅいん ねごろじ)
住所香川県高松市中山町1506
開基・創建弘法大師、智証大師・弘仁年間(810〜824)
宗派天台宗
御本尊千手観世音菩薩
本尊真言おん ばざらたらま きりく そわか
ご詠歌宵の間の妙降る霜の消えぬれば 後こそ鉦の勤行の声
御朱印

◆ 五つの峰を五色台と呼ばれているが、弘法大師がこの地に来られた時、五智如来を感得されたのでこの五仏に因んで青黄赤白黒の色別の峰として名付けた。そしてこれらの主峰・青峰に五大明王を祀り華蔵院とした。また智証大師が千手観世を刻み千手院を創建し、この二院を総称して根香寺としたと伝えられている。山門から石段を下ると杉林の参道、再び石段を登ると右に役の行者、左に牛鬼の像がある。約4百年前、牛鬼と呼ばれる怪獣が現れ村人に危害を加えたので、弓の名人・山田蔵人高清が根香寺に祈願をしこれを退治、その角を納めた、この角が今も寺に保存されている。本尊千手観世音は後白河上皇の崇信厚く勅願所として千石千貫の寺領を賜り、三十三年目開扉の秘伝とされていて、国指定の重文である。本堂前の回廊が”万体観音堂”になっていて、小さな観音様が綺麗な列を作って並んでいる。現在三万体余りという。

八十二番根香寺 八十二番根香寺 八十二番根香寺 八十二番根香寺 八十二番根香寺
仁王門密迹金剛那羅延金剛仁王門、参道から日本遺産「根香寺」
八十二番根香寺 八十二番根香寺 八十二番根香寺 八十二番根香寺 八十二番根香寺
参道から見る境内山門脇の牛鬼の像牛鬼の像説明本堂本堂
八十二番根香寺
本堂から見る万体観音堂の回廊
八十二番根香寺 八十二番根香寺 八十二番根香寺 八十二番根香寺 八十二番根香寺
大志堂万体観音堂内部手水舎鐘楼五大明王堂
八十二番根香寺 八十二番根香寺 八十二番根香寺 八十二番根香寺 八十二番根香寺
五大明王説明役の行者像悲願金剛竜宮地蔵尊牛頭観音
八十二番根香寺 八十二番根香寺 八十二番根香寺 八十二番根香寺
水かけ不動尊白猴欅白猴欅説明納経所

八十三番札所一宮寺 Ichinomiya_ji   2017. 2.16 参拝

八十三番札所一宮寺

寺名称神毫山 大宝院 一宮寺(しんごうざん だいほういん いちのみやじ)
住所香川県高松市一宮町607
開基・創建義淵僧正・大宝年間(701〜704)
宗派真言宗 御室派
御本尊聖観世音菩薩
本尊真言おん あろりきゃ そわか
ご詠歌讃岐一宮の御前に仰ぎ来て 神の心を誰かしら言ふ
御朱印

◆ 仁王門の向かいに田宮神社があり、当時はその別当寺であった。一宮寺は文武天皇の大宝年間(701〜703)に義淵僧正が開基し、初めは大宝院と称し、法相宗に属していたが、諸国に一宮が建てられた時、行基菩薩が堂塔を修築、田宮神社の別当職となり、寺号も一宮寺に改められた。また大同年間、弘法大師が訪れ 聖観世音菩薩を彫造し、伽藍の再興にあたり、この時に真言宗に改宗されました。一の宮には、初め別当寺十二坊があったが、兵火にかかり、弥勒寺と末寺は没収されたが一宮寺は残された。しかし長宗我部によって堂塔は灰塵に帰し、僧宥勢によって再興され、延宝七年には高松藩主松平頼重により田村神社の別当職を解かれ、神仏分離した。本堂横に三基の石塔が並んでいるが、一の宮御陵と呼ばれ中央が孝霊天皇の供養塔、左右は百襲姫(ももそひめ)、五十狭斧産命(いそぎせりひこのみこと)のものといわれている。やはり本堂横には薬師堂があるがお堂というより、祠とよんだ方がいい石堂だが、この石の扉を開けて首を突っ込むと地獄の釜音が聞こえると言われている。地獄で亡者を投げ込む熱湯の釜の湯を沸かしている火の音と言われている。

八十三番一宮寺 八十三番一宮寺 八十三番一宮寺 八十三番一宮寺 八十三番一宮寺
仁王門密迹金剛那羅延金剛仁王門、境内より本堂
八十三番一宮寺 八十三番一宮寺 八十三番一宮寺 八十三番一宮寺 八十三番一宮寺
大志堂護摩堂菩薩堂手水舎鐘楼
八十三番一宮寺 八十三番一宮寺 八十三番一宮寺 八十三番一宮寺 八十三番一宮寺
西側の門日本遺産「一宮寺」薬師堂(地獄の釜)薬師如来縁起一の宮御陵
八十三番一宮寺 八十三番一宮寺 八十三番一宮寺 八十三番一宮寺 八十三番一宮寺
閻魔大王厄除大師りえとまことの夫婦槙納経所

八十四番札所屋島寺 Yashima_ji    2017. 1.26 参拝

八十四番札所屋島寺

寺名称南面山 千光院 屋島寺(なんめんざん せんこういん やしまじ)
住所香川県高松市屋島東町1808
開基・創建鑑真和上・天平勝宝年間(749〜756)
宗派真言宗 御室派
御本尊十一面千手観世音菩薩
本尊真言おん ばさら たらま きりく
ご詠歌梓弓屋島の宮に詣でつつ 祈りをかけて勇む武夫
御朱印 屋島寺御朱印

◆ 屋島は海に突き出した屋根のような形の台地で、有名な義経の弓流しや那須与一の扇の的等、源平合戦の古戦場の史蹟で知られている。山は南嶺と北嶺に分かれているが、屋島寺は元は北嶺にあったが弘法大師が弘仁六年(815)南嶺に移した。開基は天平の頃、唐から日本に来朝した唐僧鑑真和上が唐招提寺開基の後、北嶺に普賢堂を建て、持参していた普賢菩薩像を安置し、経典を納めて創建されたという。のち和上の弟子で東大寺戒壇院の恵雲律師が堂塔を建立して精舎を構え、「屋島寺」と称し初代住職になった。弘仁六年、弘法大師が南嶺に本堂を建立、自刻の千手観世音菩薩を安置して本尊とした。駐車場とは離れている南の仁王門を入ると50m程の処に四天門、門の表と裏に二体ずつの四天王を安置の門で、阿波藩主、蜂須賀至央の寄進によるものである。境内は大変広く左に本坊、宝物館、右には鐘楼、千休堂(観音千体を祀る)、三体堂(阿弥陀如来、釈迦如来、鑑真上人)、大師堂等があり、梵鐘は平家供養の鐘として知られている。

八十四番屋島寺 八十四番屋島寺 八十四番屋島寺 八十四番屋島寺 八十四番屋島寺
仁王門仁王門密迹金剛那羅延金剛四天門
蜂須賀至央の寄進
八十四番屋島寺 八十四番屋島寺 八十四番屋島寺 八十四番屋島寺 八十四番屋島寺
四天王四天王山門(駐車場側)本堂
八十四番屋島寺 八十四番屋島寺 八十四番屋島寺 八十四番屋島寺 八十四番屋島寺
大志堂手水舎三体堂千躰堂鐘楼
八十四番屋島寺 八十四番屋島寺 八十四番屋島寺 八十四番屋島寺 八十四番屋島寺
宝物館熊野権現社蓑山大明神説明蓑山大明神
八十四番屋島寺 八十四番屋島寺 八十四番屋島寺 八十四番屋島寺 八十四番屋島寺
瑠璃宝の池(血の池)
八十四番屋島寺 八十四番屋島寺 八十四番屋島寺 八十四番屋島寺 八十四番屋島寺
瑠璃宝の池源平古戦場跡標識屋嶋城大手門屋嶋城石垣屋嶋城説明板

 屋嶋城(やしまのき)とは!・・・・現地説明板より
663年の白村江の戦いでの敗戦後、国防の危機に際して、中大兄皇子は倭国を守るために九州から瀬戸内海にかけて山城を築かせました。屋嶋城はその一つで「日本書紀」に記されているそうです。

八十五番札所八栗寺 Yakuri_ji    2017. 1.16 参拝

八十五番札所八栗寺

寺名称五剣山 観自在院 八栗寺(ごけんざん かんじざいいん やくりじ)
住所香川県高松市牟礼町牟礼3416
開基・創建弘法大師・大同2年(807)
宗派真言宗 大覚寺派
御本尊聖観世音菩薩
本尊真言おん あろりきゃ そわか
ご詠歌煩悩を胸の智火にて八栗をば 修行者ならで誰か知るべき
御朱印 八栗寺御朱印

◆ 屋島のドライブウェイから東を見ると下に源平の古戦場があり、更に東を見ると山が五つに割れたような五剣山が見えます。八栗寺は淳和天皇の天長六年(827)の創建で弘法大師の開基といわれている。寺伝によれば、弘法大師がこの山に登り求聞寺法を修めた時に、五振りの剣が天振り注ぎ、山の鎮守蔵王権現が現れました。そして「この山は仏教相応の霊地なり」と告げられたので、大師はそれらの剣を山中に埋め鎮護とし五剣山または剣五山と名づけらました。また大師自ら千手観音を刻み堂宇を建て、これを安置して本尊としたので千手院と名付けた。五剣山の頂上からは、讃岐、阿波、備前など四方八国が見渡すことができたので、もともと八国寺という寺名でした。 延暦年中、大師は唐へ留学する前に、再度この山に登りました。そして仏教を学ぶ念願が叶うかどうかを試すために8個の焼き栗を植えられました。無事帰国し、再び訪れると、芽の出るはずない焼き栗が芽吹いていました。これが八国寺を八栗寺へ改名した由来です。

八十五番八栗寺 八十五番八栗寺 八十五番八栗寺 八十五番八栗寺 八十五番八栗寺
仁王門密迹金剛那羅延金剛仁王門、境内より日本遺産「八栗寺」
八十五番八栗寺 八十五番八栗寺 八十五番八栗寺 八十五番八栗寺 八十五番八栗寺
本堂大志堂聖天堂手水舎焼香所
八十五番八栗寺 八十五番八栗寺 八十五番八栗寺 八十五番八栗寺 八十五番八栗寺
鐘楼多宝塔地蔵菩薩十一面観世音菩薩聖観世音菩薩
八十五番八栗寺 八十五番八栗寺 八十五番八栗寺 八十五番八栗寺 八十五番八栗寺
八十五番八栗寺 八十五番八栗寺 八十五番八栗寺 八十五番八栗寺 八十五番八栗寺
納経所88ヶ所石仏霊場石仏霊場石仏霊場石仏霊場
八十五番八栗寺 八十五番八栗寺 八十五番八栗寺 八十五番八栗寺
石仏霊場菩提樹八栗寺案内五剣山

八十六番札所志度寺 Shido_ji    2017. 1.26 参拝

八十六番札所志度寺

寺名称補陀洛山 志度寺(ぼだらくさん しどじ)
住所香川県さぬき市志度1102
開基・創建藤原不比等・推古33年(625)
宗派真言宗 善通寺派
御本尊十一面観世音菩薩
本尊真言おん まか きゃろにきゃ そわか
ご詠歌いざさらば今宵はここに志度の寺 祈りの声を耳に触れつつ
御朱印 志度寺御朱印

◆ この寺に伝わる数々の伝説は多いが、その中でも謡曲の”海女”等に残る玉取りの海女の話であろう。開創は古く推古天皇33年(625)、四国霊場屈指の古刹です。海洋技能集団海人族の凡園子(おおしそのこ)が霊木を刻み、十一面観音(かんのん)像を彫り、精舎を建てたのが始まりと言われ、その後、藤原鎌足の息子、藤原不比等が妻の墓を建立し「志度道場」と名づけられました。その息子房前の時代、持統天皇7年(693)、行基とともに堂宇を拡張し、学問の道場として栄えました。能楽の作品「海士(あま)」の舞台としても語り継がれています。寺の西側にある山門は寛文十年(1670)、高松藩主公建立で、珍しい建築様式の三棟門で、日本三大名門の一つ。志度は江戸時代の奇才”平賀源内”の生まれた処であり、山門の前の常楽寺に墓や、近くには記念館もあります。境内は平成の大修理の前ということだろうか、枯れた草木や木々が目立ちます。

八十六番志度寺 八十六番志度寺 八十六番志度寺 八十六番志度寺 八十六番志度寺
仁王門密迹金剛那羅延金剛門を境内より見る志度寺案内
八十六番志度寺 八十六番志度寺 八十六番志度寺 八十六番志度寺 八十六番志度寺
山門前より見る五重塔本堂大志堂手水舎鐘楼
八十六番志度寺 八十六番志度寺 八十六番志度寺 八十六番志度寺 八十六番志度寺
護摩堂奪衣婆堂三尊仏四国八十八箇所
光明真言
覚阿上人霊塔
八十六番志度寺 八十六番志度寺 八十六番志度寺 八十六番志度寺 八十六番志度寺
薬師堂芳室文塚・松風塚生駒親正墓案内生駒親正の墓海女の墓説明板
八十六番志度寺 八十六番志度寺 八十六番志度寺 八十六番志度寺 八十六番志度寺
古址海女の墓石柱海女の墓四国遺産「志度寺」納経所三社
八十六番志度寺 八十六番志度寺 八十六番志度寺 八十六番志度寺 八十六番志度寺
境内案内平賀源内墓所
「常楽寺」
平賀源内の墓

八十七番札所長尾寺 Nagao_ji    2017. 1.26 参拝

八十七番札所長尾寺

寺名称補陀洛山 観音院 長尾寺(ぼだらくさん かんおんいん ながおじ)
住所香川県さぬき市長尾西653
開基・創建行基・天平11年(739)
宗派天台宗
御本尊聖観世音菩薩
本尊真言おん あろりきゃ そわか
ご詠歌あしびきの山鳥の尾の長尾寺 秋の夜すがら御名を唱えよ
御朱印 長尾寺御朱印

◆ 香川県の中央部、さぬき市長岡町の町中にある山門は鐘楼も兼ねた造りで、山門の前にある国の重要文化財である経幢(きょうどう)が目を引く。経文を収めた石塔で、一つは弘安六年(1283)、もう一つは弘安九年と刻まれている。建立年代から、蒙古軍が二度にわたって襲来してきた文永・弘安の役。三度目の襲来は無かったが、三度目の襲来に備えて、戦勝を祈願した「経幢」ではなかったかと言われている。縁起によると、天平十一年(739)行基菩薩がこの地に巡錫した際、道端の楊柳を切って聖観世音を刻み小堂を建てて尊像を安置したのが寺の始まり。その後弘法大師が来錫され、、年頭七夜の護摩秘法を修し、その符を集まった信者に投げ与えられた。堂塔はその後長宗我部の兵火に遭い荒廃、再建を繰り返す。その間に真言宗から天台宗に改宗した。護摩堂の白壁に添って、静御前剃髪の塚がある。

八十七番長尾寺 八十七番長尾寺 八十七番長尾寺 八十七番長尾寺 八十七番長尾寺
仁王門密迹金剛那羅延金剛仁王門を境内から石柱
八十七番長尾寺 八十七番長尾寺 八十七番長尾寺 八十七番長尾寺 八十七番長尾寺
経幢説明板経幢(弘安六年)経幢(弘安九年)本堂大志堂
八十七番長尾寺 八十七番長尾寺 八十七番長尾寺 八十七番長尾寺 八十七番長尾寺
手水舎東門東門説明板護摩堂本坊膳所
八十七番長尾寺 八十七番長尾寺 八十七番長尾寺 八十七番長尾寺 八十七番長尾寺
松平頼重公御成門静御前剃髪塚天神宮納経所大楠
八十七番長尾寺 八十七番長尾寺

八十八番大窪寺 Ookubo_ji     2017. 1.26 参拝

八十八番大窪寺

寺名称医王山 遍照光院 大窪寺(いおうざん へんじょうこういん おおくぼじ)
住所香川県さぬき市多和兼割96
開基・創建行基・養老元年(717)
宗派真言宗
御本尊薬師如来
本尊真言おん ころころ せんだり まとうぎ そわか
ご詠歌南無薬師諸病なかれと願いつつ 詣れる人は大窪の寺
御朱印 大窪寺御朱印

◆ いよいよ此処が結願(けちがん)の寺、大窪寺。一番霊山寺からぐるっと四国を千数百キロを巡礼してきたお遍路さんは感激で目がしらが熱くなると言います。縁起によると、元正天皇の頃、行基菩薩がこの地を訪れた際に、霊夢を感得し草庵を建て修行をしたと言われます。弘仁7年に、唐から帰国した弘法大師が、現在の奥の院近くの胎蔵ヶ峰という岩窟で、虚空蔵求聞持(ぐもんじ)法を修法し大きな窪の傍らに堂宇を建立。等身大の薬師如来坐像を彫造し本尊とされました。また唐の恵果阿闍梨より授かった三国(印度、唐、日本)伝来の錫杖を納めて大窪寺と名づけ、結願の地と定めました。本堂西側にそそりたつ女体山には奥の院があります。大師が本尊に水を捧げるために独鈷で加持すると清水が湧き出たと伝えられます。その水を薬とともに服用し、ご利益を受ける人も少なくありません。巡拝者は巡礼の支えとなった金剛杖や菅笠をお礼の意味を込めて納めています。無数の菅笠や杖は”同行二人”の信仰に生きた人々の”証である。”

八十八番大窪寺 八十八番大窪寺 八十八番大窪寺 八十八番大窪寺 八十八番大窪寺
仁王門仁王門大窪寺略縁起本堂大志堂
八十八番大窪寺 八十八番大窪寺 八十八番大窪寺 八十八番大窪寺 八十八番大窪寺
手水舎護摩堂鐘楼修行大師様納経所
八十八番大窪寺 八十八番大窪寺 八十八番大窪寺 八十八番大窪寺 八十八番大窪寺
原爆の灯寶杖堂(納められた
大量の金剛杖)
西の仁王門西の仁王門密迹金剛
八十八番大窪寺 八十八番大窪寺 八十八番大窪寺 八十八番大窪寺 八十八番大窪寺
那羅延金剛日本遺産「大窪寺」手水鉢(凍っています)四国霊場結願所藤棚
八十八番大窪寺 八十八番大窪寺 八十八番大窪寺 八十八番大窪寺 八十八番大窪寺

Copyright © 2015 copyrights.basie.mobi All Rights Reserved.
参考文献:徳島新聞社刊「四国霊場の旅」