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ベイシー写真館

■四国88ヶ所霊場

土佐の霊場(修行の道場)其の壱 24番〜31番

二十四番札所「最御崎寺」 Hotsumisaki_ji   2017.7.2 参拝

二十四番札所「最御崎寺」

寺名称室戸山 明星院 最御崎寺(むろとざん みょうじょういん ほつみさきじ)
住所高知県室戸市室戸岬町4058-1
開基・創建弘法大師・大同2年(807)
宗派真言宗 豊山派
御本尊虚空蔵菩薩
本尊真言のうぼう あきゃしゃ きゃらばや おん ありきや まりぼり そわか
ご詠歌明星の出でぬる方の東寺 くらき迷いはなどかあらまし
御朱印

◆ 二十三番薬王寺から二十四番最御崎寺まで国道55号線で82キロ、四国八十八ヶ所のなかでは2番目に長い道のりである。「修行の道場」とされる土佐高知最初の霊場である。黒潮のしぶきにあらわれて鋭角になった黒い岩礁。そのすさまじい響き、空と海が一体となり襲いかかる洞窟の樹下で、藤衣を被って風雨を凌ぎ、虚空蔵求聞持法の修法に励む青年・空海がいた。延暦11年(792)弘法大師19歳のころとされている。この詳細は、大師が24歳のときの撰述『三教指帰』に次のように記されている。「…土州室戸崎に勤念す 谷響きを惜しまず 明星来影す 心に感ずるときは明星口に入り 虚空蔵光明照らし来たりて 菩薩の威を顕し 仏法の無二を現す…」
当時は、真言密教の道場とされ女人禁制の寺であった。往時、女性の遍路は遙か室戸岬の先端から拝んだといわれるが、明治5年に解禁されている。室戸岬では東西に対峙している二十六番・金剛頂寺が「西寺」と呼ばれ、最御崎寺は「東寺」とも呼ばれており、納経帳等の寺名には東寺と記されている。南国情緒を味わう室戸阿南国定公園の中心にあり、大師が悟りの起源の地でもある。

二十四番最御崎寺 二十四番最御崎寺 二十四番最御崎寺 二十四番最御崎寺 二十四番最御崎寺
仁王門多聞天持国天増長天広目天
二十四番最御崎寺 二十四番最御崎寺 二十四番最御崎寺 二十四番最御崎寺 二十四番最御崎寺
仁王門境内から日本遺産「四国遍路」最御崎寺最御崎寺縁起最御崎寺境内案内何故か土俵が
二十四番最御崎寺 二十四番最御崎寺 二十四番最御崎寺 二十四番最御崎寺 二十四番最御崎寺
本堂大志堂手水舎鐘石多宝塔
二十四番最御崎寺 二十四番最御崎寺 二十四番最御崎寺 二十四番最御崎寺 二十四番最御崎寺
鐘楼堂鐘楼護摩堂聖天堂霊寶殿
二十四番最御崎寺 二十四番最御崎寺 二十四番最御崎寺 二十四番最御崎寺 二十四番最御崎寺
修行大師像虚空蔵菩薩像十一面観世音菩薩像子安地蔵尊納経所

御厨人窟(みくろど)

二十四番最御崎寺
お大師さんが虚空蔵求聞持法の苦行をしたと伝えられる洞窟
みくろ洞 みくろ洞 みくろ洞 みくろ洞 みくろ洞
御厨人窟説明御厨人窟標柱御厨人窟御厨人窟御厨人窟石板
みくろ洞 みくろ洞 みくろ洞 みくろ洞
大師行水の池エボシ岩(明星石)エボシ岩(明星石)エボシ岩(明星石)説明

※明星石、お大師さんが修行中に、星のように光を放ち、毒龍の妨げを防いだという伝説の石。海岸で斑レイ岩として見かける


明星来影寺(室戸青年大師)

明星来影寺
明星来影寺 明星来影寺 明星来影寺 明星来影寺 明星来影寺
明星来影寺仁王門大師像高さ21m大師像と涅槃像涅槃像説明足元は四国88ヶ所の
位置を表している

二十五番札所津照寺 Shinsyou_ji   2017.7.2 参拝

二十五番津照寺

寺名称宝珠山 真言院 津照寺(ほうしゅざん しんごんいん しんしょうじ)
住所高知県室戸市室津2652-イ
開基・創建 弘法大師・大同2年(807)
宗派真言宗 豊山派
御本尊地蔵菩薩(楫取地蔵)
本尊真言おん かかかび さんまえい そわか
ご詠歌法の舟 入るか出づるかこの津寺 迷ふ我身をのせてたまへや
御朱印

◆ 室戸岬から4.5k、最御崎寺から歩いて一時間余りのところに室津港があり、港を見下ろす小山の上に佇む「津照寺」は、通称「津寺」(つでら)と呼ばれており、弘法大師空海上人が四国御修行の時、山の形が地蔵菩薩の持つ宝珠(ほうしゅ)に似ているところから霊地とし地蔵菩薩を自ら刻まれ本尊とし、宝珠山真言院津照寺と号されました。室津も室戸も土佐山内藩の家老・野中兼山が改修に苦労した処。室津港では兼山の部下、普請奉行の一木権兵衛が自ら人柱となって港を開いた。慶長六年、時の藩主山内忠義公が沖を航行中、暴風雨に遭って船が今にも転覆するかに見えたが、坊さんが現れて舵をとり、船は無事港につくことが出来たが、坊さんの姿が見えないので後を追うと、坊さんは津照寺の本堂に消えた。厨子を開くと本尊地蔵菩薩がびっしょり濡れていた。それからこのお地蔵さんさんは”舵とり地蔵”と呼ばれ、今も漁師、船乗りの信仰があついといわれている。

二十五番津照寺 二十五番津照寺 二十五番津照寺 二十五番津照寺 二十五番津照寺
山門百八段の石段
途中左に一木神社
津照寺案内日本遺産「四国遍路」
津照寺
手水場
二十五番津照寺 二十五番津照寺 二十五番津照寺 二十五番津照寺 二十五番津照寺
本堂石段途中の
鐘楼兼仁王門
梵鐘石段下りの
鐘楼兼仁王門
漁業殉職者霊塔
二十五番津照寺 二十五番津照寺 二十五番津照寺 二十五番津照寺 二十五番津照寺
写経大師尊像大志堂納経所山門境内から一木権兵衛の墓

二十六番札所金剛頂寺 Kongoucyou_ji   2017.7.2 参拝

二十六番札所金剛頂寺

寺名称龍頭山 光明院 金剛頂寺(りゅうずざん こうみょういん こんごうちょうじ)
住所高知県室戸市元乙523
開基・創建 弘法大師・大同2年(807)
宗派真言宗 豊山派
御本尊薬師如来
本尊真言おん ころころ せんだり まとうぎ そわか
ご詠歌往生に望みをかくる極楽は 月のかたむく西寺の空
御朱印

◆ 室戸岬から西北に土佐湾に向かって小さく突き出した岬があり、硯が産出するという硯ヶ浜の行当岬で、海抜150mの頂上に金剛頂寺がある。室戸岬の最御崎寺と相対しているので最御崎寺を東寺、金剛頂寺を西寺とも呼んでいる。寺から4kmのところに女人堂と呼ばれる不動堂があり、若き弘法大師はこの間を毎日行き来し修行した霊地であり、行道したことから、「行当」はその名残かもしれない。縁起によると、大師が平城天皇(在位806?9)の勅願により、本尊の薬師如来像を彫造して寺を創建したのは大同2年と伝えられている。創建のころは「金剛定寺」といわれ、女人禁制とされて、婦女子は行当岬の不動堂から遙拝していたという。

二十六番金剛頂寺 二十六番金剛頂寺 二十六番金剛頂寺 二十六番金剛頂寺 二十六番金剛頂寺
仁王門密迹金剛那羅延金剛二十六番霊場石碑厄坂
二十六番金剛頂寺 二十六番金剛頂寺 二十六番金剛頂寺 二十六番金剛頂寺 二十六番金剛頂寺
厄除(六十一歳)男坂(四十二歳)女坂(三十三歳)金剛頂寺説明日本遺産「四国遍路」
金剛頂寺
二十六番金剛頂寺 二十六番金剛頂寺 二十六番金剛頂寺 二十六番金剛頂寺 二十六番金剛頂寺
本堂大志堂手水舎鐘楼霊寶殿
二十六番金剛頂寺 二十六番金剛頂寺 二十六番金剛頂寺 二十六番金剛頂寺 二十六番金剛頂寺
一粒万倍の釜がん封じ椿御霊木護摩堂修行大師様納経所

二十七番札所神峯寺 Kounomine_ji    2017.7.2 参拝

二十七番神峯寺

寺名称竹林山 地蔵院 神峯寺(ちくりんざん じぞういん こうのみねじ)
住所高知県安芸郡安田町唐浜2594
開基・創建行基菩薩・天平2年(730)
宗派真言宗 豊山派
御本尊十一面観世音菩薩(伝行基作)
本尊真言おん まか きゃろにきゃ そわか
ご詠歌みほとけのめぐみの心 神峯山も誓いも高き水音
御朱印

◆ 昔は60番の横峯か27番の神峯かといわれお四国中でも屈指の難所であった。土佐の関所ともいわれ、寺のある450mの中腹までは3.3kの登り。そのうち1.3kは「真っ縦」といわれる勾配45度の急坂で身軽にならないと登りきれないという難所であった。今はドライブウェイが開かれ納経所まで行けるようになった。幕末のころ、三菱財閥を築いた岩崎弥太郎の母が、20km離れた家から急な坂道を21日間(三七日)日参し、息子の出世を祈願した話は、今も伝わっている。縁起による歴史の古さは屈指で、神功皇后(在位201〜69)の三韓征伐にあたって世に勅命で天照大神などを祀る神社が起源とされる。聖武天皇(在位724〜49)の勅をうけた行基菩薩が天平2年に十一面観音像を彫造して本尊とし、神仏合祀を行った。その後、弘法大師が伽藍を建立し、「観音堂」と名付けたのが大同4年(809)の頃とされている。大正元年に茨城県朝日村の地蔵院を移して、竹林山地蔵院神峯寺と称するようになった。

二十七番神峯寺 二十七番神峯寺 二十七番神峯寺 二十七番神峯寺 二十七番神峯寺
仁王門密迹金剛那羅延金剛日本遺産「四国遍路」
神峯寺
鳥居は神峯神社
二十七番神峯寺 二十七番神峯寺 二十七番神峯寺 二十七番神峯寺 二十七番神峯寺
手水舎神峯の水(手水)険しい石段険しい石段険しい石段
二十七番神峯寺
大志堂
二十七番神峯寺 二十七番神峯寺 二十七番神峯寺 二十七番神峯寺 二十七番神峯寺
本堂聖観音堂みちびき弘法大師お迎え大師不動明王
二十七番神峯寺 二十七番神峯寺 二十七番神峯寺 二十七番神峯寺 二十七番神峯寺
水子地蔵尊仏足跡石段途中の見事な
樹木の剪定
鐘楼(工事中)納経所
二十七番神峯寺 二十七番神峯寺 二十七番神峯寺 二十七番神峯寺
本坊・庫裡本坊・庫裡門柱境内から山門を

二十八番札所大日寺 Dainichi_ji    2017.10.9 参拝

七十番札所大日寺

寺名称法界山 高照院 大日寺(ほうかいざん こうしょういん だいにちじ)
住所高知県香南市野市町母代寺476-1
開基・創建弘法大師・大同2年(807)
宗派真言宗 智山派
御本尊大日如来
本尊真言おん ばざら だどばん(金剛界)
ご詠歌露霜と罪を照らせる大日寺 などか歩みを運ばざらまし
御朱印 大日寺御朱印

◆ 昔は土佐へ入るには厳しい制約があった。甲浦から入って宿毛へ抜けるか、逆に宿毛から甲浦へ抜けるかのいずれかに制限され、他の所から入ることは許されなかった。しかも国手形という証明を所持して番所へ提示し、添手形(通行許可証)を交付してもらい、出口の番所で返却して、国内では一定のコースの遍路道を通行し、夜間の通行や道草は出来なかった。今は昔の遍路に比べようがないほど自由で物資も豊富、交通機関の発達もあり、信仰の旅が観光主体の旅になりがちだが、土佐は「修行の道場」である。大日寺は山門を入ると石段を上がった正面に本堂、地蔵堂。高くはないが、山の中にあって閑静なお寺である。本堂はもと大日堂といい、寺の開基である行基菩薩が刻まれた大日如来(重文)が安置されている。大同年間に弘法大師が来られた時、立木のクスノキに薬師如来を刻まれ"爪彫り薬師”として知られる尊像は本堂から150mの奥の院に安置されている。

二十八番大日寺 二十八番大日寺 二十八番大日寺 二十八番大日寺 二十八番大日寺
山門境内石段から山門を四国遺産「大日寺」本堂(大日堂)大志堂
二十八番大日寺 二十八番大日寺 二十八番大日寺 二十八番大日寺 二十八番大日寺
地蔵堂手水舎鐘楼納経所庭園と奥が納経所
二十八番大日寺 二十八番大日寺
奥の院案内奥の院(爪彫薬師)

二十九番札所国分寺 Kokubun_ji    2017.10.9 参拝

二十九番札所国分寺

寺名称摩尼山 宝蔵院 国分寺(まにざん ほうぞういん こくぶんじ)
住所高知県南国市国分546
開基・創建行基菩薩・天平13年(741)
宗派真言宗 智山派
御本尊千手観世音菩薩
本尊真言おん ばざら たらま きりく
ご詠歌国を分け宝を積みて建つ寺の 末の世までの利益残せり
御朱印 国分寺御朱印

◆ 寺のある御免は物資の集積地として栄えたところ。町の繁栄を図って税を免除したので「御免」となり、後に「後免」に改められたとか。寺は後免駅から北西へ4キロの国分川の北にあり、樹木におおわれ優雅な環境である。仁王門は承応二年(1558)藩主の山内忠義の建立といわれ、二階鐘楼の梵鐘は天平十一年創建で重文に指定されている。門を入ると正面に柿葺寄棟造りの金堂、建物の外観は天平様式である。寺は、聖武天皇の勅を受けた行基菩薩が、本尊千手観世音を刻んで天平十一年(739)に開創した。弘法大師が42歳のときこの地に来て、毘沙門天を感得して刻んだ尊像を奥の院に安置した。大師は二月三日の節分の日、寺の本堂で未世衆生の星供の厄難消除を祈られたので、この寺の大師堂は”星供大師”と呼ばれている。ここは”土佐の苔寺”とよばれ青い綺麗な苔がおおっている。

二十九番国分寺 二十九番国分寺 二十九番国分寺 二十九番国分寺 二十九番国分寺
仁王門(鐘楼門)密迹金剛那羅延金剛四国遺産「国分寺」境内から見る仁王門
二十九番国分寺 二十九番国分寺 二十九番国分寺 二十九番国分寺 二十九番国分寺
山門から境内への参道金堂(本堂)金堂説明大志堂大志堂案内
二十九番国分寺 二十九番国分寺 二十九番国分寺 二十九番国分寺 二十九番国分寺
土佐国分寺案内手水舎鐘楼堂開山堂酒断地蔵尊
二十九番国分寺 二十九番国分寺 二十九番国分寺 二十九番国分寺
光明殿本坊苔寺由来の庭園納経所

三十番札所善楽寺 Zenraku_ji    2017.10.9 参拝

三十番札所善楽寺

寺名称百々山 東明院 善楽寺 (どどざん とうみょういん ぜんらくじ)
住所高知県高知市一宮しなね2丁目23-11
開基・創建弘法大師・大同年間(806〜810)
宗派真言宗 豊山派
御本尊阿弥陀如来
本尊真言おん あみりた ていせい からうん
ご詠歌人多くたち集まれる一ノ宮 昔も今も栄えぬるかな
御朱印 善楽寺御朱印

◆ 昔は土佐の三十番を名乗る寺は二か所あった、同じ高知市内で安楽寺と善楽寺である。元々三十番は善楽寺であったが明治の廃仏毀釈で、善楽寺もご本尊を国分寺に預けて寺を廃業してしまった。
その後廃仏令も改まり、国分寺にあった善楽寺のご本尊を安楽寺に復活させたが、その時の約束で「三年後には本尊を善楽寺に返し安楽寺は善楽寺の奥の院とする」ということで約束された。善楽寺は埼玉の寺院株を買って寺を復興し、安楽寺にご本尊を返してくれと申し入れたが、そうはならじと安楽寺が居直る。すったもんだの争いはそれから何十年も続いたが、昭和三十九年に両寺院が協議の上、善楽寺は「四国三十番霊場、御開創霊場土佐一の宮」、安楽寺は「四国三十番霊場、本尊奉安土佐一の宮」と名乗ることで和解成立した。

三十番善楽寺 三十番善楽寺 三十番善楽寺 三十番善楽寺 三十番善楽寺
境内入口の
十一面観世音菩薩像
本堂大志堂手水舎手水鉢を支える天邪鬼
三十番善楽寺 三十番善楽寺 三十番善楽寺 三十番善楽寺 三十番善楽寺
水子地蔵堂水子地蔵尊子安地蔵尊梅見地蔵不動明王
三十番善楽寺 三十番善楽寺 三十番善楽寺
修行大師像仏足跡本坊・納経所

三十一番札所竹林寺 Chikurin_ji     2017.10.9 参拝

三十一番竹林寺

寺名称五台山 金色院 竹林寺(ごだいさん こんじきいん ちくりんじ)
住所高知県高知市五台山3577
開基・創建行基菩薩・神亀元年(724)
宗派真言宗 智山派
御本尊文殊菩薩
本尊真言おん あらはしゃ なう
ご詠歌南無文殊三世(みよ)の仏の母ときく 我(われ)も子なれば乳(ち)こそほしけれ
御朱印 竹林寺御朱印

◆ 海抜145mの五台山は高知の最も整備されている観光地の一つ。山頂からは高知の市街や、瓢箪形の浦戸湾が見え美しい。仁王門から百二段の石段を登ると大師堂と本堂が向かい合って建っている。本堂は文殊堂と呼ばれ文明年間の建立。入母屋、こけら葺きで、堂内には本尊文殊菩薩が安置されている。文殊菩薩といえば”文殊の知恵”といわれ、知恵の仏といわれているが、なるほど土佐が生んだ偉人は多く、野中兼山、坂本龍馬、後藤象二郎、板垣退助、中江兆民、浜口雄幸、寺田寅彦など多数輩出されている。寺伝によれば聖武天皇が夢の中で唐の五台山の文殊菩薩を拝し、行基にこのことを告げて「日本に五台山に似た霊知を探し、かの山になぞらえて伽藍を建立せよ」命じられた。行基はこの地と見極め寺を建立。これが竹林寺の始まりである。それと竹林寺で有名なのは「坊さんかんざし買うをみた〜」と「よさこい節」に歌われている純信、おうまの物語。竹林寺の脇坊にいた僧純信が近くに住むイカケ屋新平の娘おうまに恋をしてカンザシを買い与えたという恋物語。

三十一番竹林寺 三十一番竹林寺 三十一番竹林寺 三十一番竹林寺 三十一番竹林寺
山門への石段仁王門密迹金剛那羅延金剛境内から山門
三十一番竹林寺 三十一番竹林寺 三十一番竹林寺 三十一番竹林寺 三十一番竹林寺
仁王門からの百二段の石段本堂大志堂手水舎五智如来
三十一番竹林寺 三十一番竹林寺 三十一番竹林寺 三十一番竹林寺 三十一番竹林寺
五重塔五重塔説明子安地蔵尊淡島明神稲荷明神
三十一番竹林寺 三十一番竹林寺 三十一番竹林寺 三十一番竹林寺 三十一番竹林寺
一言地蔵一言地蔵尊虚空蔵菩薩堂納経所竹林寺宝物館

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参考文献:徳島新聞社刊「四国霊場の旅」