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Hotsumisaki_ji 2017.7.2 参拝
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◆ 二十三番薬王寺から二十四番最御崎寺まで国道55号線で82キロ、四国八十八ヶ所のなかでは2番目に長い道のりである。「修行の道場」とされる土佐高知最初の霊場である。黒潮のしぶきにあらわれて鋭角になった黒い岩礁。そのすさまじい響き、空と海が一体となり襲いかかる洞窟の樹下で、藤衣を被って風雨を凌ぎ、虚空蔵求聞持法の修法に励む青年・空海がいた。延暦11年(792)弘法大師19歳のころとされている。この詳細は、大師が24歳のときの撰述『三教指帰』に次のように記されている。「…土州室戸崎に勤念す 谷響きを惜しまず 明星来影す 心に感ずるときは明星口に入り 虚空蔵光明照らし来たりて 菩薩の威を顕し 仏法の無二を現す…」
当時は、真言密教の道場とされ女人禁制の寺であった。往時、女性の遍路は遙か室戸岬の先端から拝んだといわれるが、明治5年に解禁されている。室戸岬では東西に対峙している二十六番・金剛頂寺が「西寺」と呼ばれ、最御崎寺は「東寺」とも呼ばれており、納経帳等の寺名には東寺と記されている。南国情緒を味わう室戸阿南国定公園の中心にあり、大師が悟りの起源の地でもある。
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仁王門 | 多聞天 | 持国天 | 増長天 | 広目天 |
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仁王門境内から | 日本遺産「四国遍路」最御崎寺 | 最御崎寺縁起 | 最御崎寺境内案内 | 何故か土俵が |
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本堂 | 大志堂 | 手水舎 | 鐘石 | 多宝塔 |
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鐘楼堂 | 鐘楼 | 護摩堂 | 聖天堂 | 霊寶殿 |
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修行大師像 | 虚空蔵菩薩像 | 十一面観世音菩薩像 | 子安地蔵尊 | 納経所 |
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お大師さんが虚空蔵求聞持法の苦行をしたと伝えられる洞窟 |
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御厨人窟説明 | 御厨人窟標柱 | 御厨人窟 | 御厨人窟 | 御厨人窟石板 |
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大師行水の池 | エボシ岩(明星石) | エボシ岩(明星石) | エボシ岩(明星石)説明 |
※明星石、お大師さんが修行中に、星のように光を放ち、毒龍の妨げを防いだという伝説の石。海岸で斑レイ岩として見かける
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明星来影寺仁王門 | 大師像高さ21m | 大師像と涅槃像 | 涅槃像説明 | 足元は四国88ヶ所の 位置を表している |
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Shinsyou_ji 2017.7.2 参拝
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◆ 室戸岬から4.5k、最御崎寺から歩いて一時間余りのところに室津港があり、港を見下ろす小山の上に佇む「津照寺」は、通称「津寺」(つでら)と呼ばれており、弘法大師空海上人が四国御修行の時、山の形が地蔵菩薩の持つ宝珠(ほうしゅ)に似ているところから霊地とし地蔵菩薩を自ら刻まれ本尊とし、宝珠山真言院津照寺と号されました。室津も室戸も土佐山内藩の家老・野中兼山が改修に苦労した処。室津港では兼山の部下、普請奉行の一木権兵衛が自ら人柱となって港を開いた。慶長六年、時の藩主山内忠義公が沖を航行中、暴風雨に遭って船が今にも転覆するかに見えたが、坊さんが現れて舵をとり、船は無事港につくことが出来たが、坊さんの姿が見えないので後を追うと、坊さんは津照寺の本堂に消えた。厨子を開くと本尊地蔵菩薩がびっしょり濡れていた。それからこのお地蔵さんさんは”舵とり地蔵”と呼ばれ、今も漁師、船乗りの信仰があついといわれている。
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山門 | 百八段の石段 途中左に一木神社 | 津照寺案内 | 日本遺産「四国遍路」 津照寺 | 手水場 |
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本堂 | 石段途中の 鐘楼兼仁王門 | 梵鐘 | 石段下りの 鐘楼兼仁王門 | 漁業殉職者霊塔 |
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写経大師尊像 | 大志堂 | 納経所 | 山門境内から | 一木権兵衛の墓 |
Kongoucyou_ji 2017.7.2 参拝
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◆ 室戸岬から西北に土佐湾に向かって小さく突き出した岬があり、硯が産出するという硯ヶ浜の行当岬で、海抜150mの頂上に金剛頂寺がある。室戸岬の最御崎寺と相対しているので最御崎寺を東寺、金剛頂寺を西寺とも呼んでいる。寺から4kmのところに女人堂と呼ばれる不動堂があり、若き弘法大師はこの間を毎日行き来し修行した霊地であり、行道したことから、「行当」はその名残かもしれない。縁起によると、大師が平城天皇(在位806?9)の勅願により、本尊の薬師如来像を彫造して寺を創建したのは大同2年と伝えられている。創建のころは「金剛定寺」といわれ、女人禁制とされて、婦女子は行当岬の不動堂から遙拝していたという。
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仁王門 | 密迹金剛 | 那羅延金剛 | 二十六番霊場石碑 | 厄坂 |
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厄除(六十一歳) | 男坂(四十二歳) | 女坂(三十三歳) | 金剛頂寺説明 | 日本遺産「四国遍路」 金剛頂寺 |
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本堂 | 大志堂 | 手水舎 | 鐘楼 | 霊寶殿 |
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一粒万倍の釜 | がん封じ椿御霊木 | 護摩堂 | 修行大師様 | 納経所 |
Kounomine_ji 2017.7.2 参拝
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◆ 昔は60番の横峯か27番の神峯かといわれお四国中でも屈指の難所であった。土佐の関所ともいわれ、寺のある450mの中腹までは3.3kの登り。そのうち1.3kは「真っ縦」といわれる勾配45度の急坂で身軽にならないと登りきれないという難所であった。今はドライブウェイが開かれ納経所まで行けるようになった。幕末のころ、三菱財閥を築いた岩崎弥太郎の母が、20km離れた家から急な坂道を21日間(三七日)日参し、息子の出世を祈願した話は、今も伝わっている。縁起による歴史の古さは屈指で、神功皇后(在位201〜69)の三韓征伐にあたって世に勅命で天照大神などを祀る神社が起源とされる。聖武天皇(在位724〜49)の勅をうけた行基菩薩が天平2年に十一面観音像を彫造して本尊とし、神仏合祀を行った。その後、弘法大師が伽藍を建立し、「観音堂」と名付けたのが大同4年(809)の頃とされている。大正元年に茨城県朝日村の地蔵院を移して、竹林山地蔵院神峯寺と称するようになった。
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仁王門 | 密迹金剛 | 那羅延金剛 | 日本遺産「四国遍路」 神峯寺 | 鳥居は神峯神社 |
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手水舎 | 神峯の水(手水) | 険しい石段 | 険しい石段 | 険しい石段 |
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大志堂 |
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本堂 | 聖観音堂 | みちびき弘法大師 | お迎え大師 | 不動明王 |
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水子地蔵尊 | 仏足跡 | 石段途中の見事な 樹木の剪定 | 鐘楼(工事中) | 納経所 |
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本坊・庫裡 | 本坊・庫裡 | 門柱 | 境内から山門を |
Dainichi_ji 2017.10.9 参拝
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◆ 昔は土佐へ入るには厳しい制約があった。甲浦から入って宿毛へ抜けるか、逆に宿毛から甲浦へ抜けるかのいずれかに制限され、他の所から入ることは許されなかった。しかも国手形という証明を所持して番所へ提示し、添手形(通行許可証)を交付してもらい、出口の番所で返却して、国内では一定のコースの遍路道を通行し、夜間の通行や道草は出来なかった。今は昔の遍路に比べようがないほど自由で物資も豊富、交通機関の発達もあり、信仰の旅が観光主体の旅になりがちだが、土佐は「修行の道場」である。大日寺は山門を入ると石段を上がった正面に本堂、地蔵堂。高くはないが、山の中にあって閑静なお寺である。本堂はもと大日堂といい、寺の開基である行基菩薩が刻まれた大日如来(重文)が安置されている。大同年間に弘法大師が来られた時、立木のクスノキに薬師如来を刻まれ"爪彫り薬師”として知られる尊像は本堂から150mの奥の院に安置されている。
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山門 | 境内石段から山門を | 四国遺産「大日寺」 | 本堂(大日堂) | 大志堂 |
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地蔵堂 | 手水舎 | 鐘楼 | 納経所 | 庭園と奥が納経所 |
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奥の院案内 | 奥の院(爪彫薬師) |
Kokubun_ji 2017.10.9 参拝
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◆ 寺のある御免は物資の集積地として栄えたところ。町の繁栄を図って税を免除したので「御免」となり、後に「後免」に改められたとか。寺は後免駅から北西へ4キロの国分川の北にあり、樹木におおわれ優雅な環境である。仁王門は承応二年(1558)藩主の山内忠義の建立といわれ、二階鐘楼の梵鐘は天平十一年創建で重文に指定されている。門を入ると正面に柿葺寄棟造りの金堂、建物の外観は天平様式である。寺は、聖武天皇の勅を受けた行基菩薩が、本尊千手観世音を刻んで天平十一年(739)に開創した。弘法大師が42歳のときこの地に来て、毘沙門天を感得して刻んだ尊像を奥の院に安置した。大師は二月三日の節分の日、寺の本堂で未世衆生の星供の厄難消除を祈られたので、この寺の大師堂は”星供大師”と呼ばれている。ここは”土佐の苔寺”とよばれ青い綺麗な苔がおおっている。
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仁王門(鐘楼門) | 密迹金剛 | 那羅延金剛 | 四国遺産「国分寺」 | 境内から見る仁王門 |
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山門から境内への参道 | 金堂(本堂) | 金堂説明 | 大志堂 | 大志堂案内 |
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土佐国分寺案内 | 手水舎 | 鐘楼堂 | 開山堂 | 酒断地蔵尊 |
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光明殿 | 本坊 | 苔寺由来の庭園 | 納経所 |
Zenraku_ji 2017.10.9 参拝
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◆ 昔は土佐の三十番を名乗る寺は二か所あった、同じ高知市内で安楽寺と善楽寺である。元々三十番は善楽寺であったが明治の廃仏毀釈で、善楽寺もご本尊を国分寺に預けて寺を廃業してしまった。
その後廃仏令も改まり、国分寺にあった善楽寺のご本尊を安楽寺に復活させたが、その時の約束で「三年後には本尊を善楽寺に返し安楽寺は善楽寺の奥の院とする」ということで約束された。善楽寺は埼玉の寺院株を買って寺を復興し、安楽寺にご本尊を返してくれと申し入れたが、そうはならじと安楽寺が居直る。すったもんだの争いはそれから何十年も続いたが、昭和三十九年に両寺院が協議の上、善楽寺は「四国三十番霊場、御開創霊場土佐一の宮」、安楽寺は「四国三十番霊場、本尊奉安土佐一の宮」と名乗ることで和解成立した。
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境内入口の 十一面観世音菩薩像 | 本堂 | 大志堂 | 手水舎 | 手水鉢を支える天邪鬼 |
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水子地蔵堂 | 水子地蔵尊 | 子安地蔵尊 | 梅見地蔵 | 不動明王 |
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修行大師像 | 仏足跡 | 本坊・納経所 |
Chikurin_ji 2017.10.9 参拝
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◆ 海抜145mの五台山は高知の最も整備されている観光地の一つ。山頂からは高知の市街や、瓢箪形の浦戸湾が見え美しい。仁王門から百二段の石段を登ると大師堂と本堂が向かい合って建っている。本堂は文殊堂と呼ばれ文明年間の建立。入母屋、こけら葺きで、堂内には本尊文殊菩薩が安置されている。文殊菩薩といえば”文殊の知恵”といわれ、知恵の仏といわれているが、なるほど土佐が生んだ偉人は多く、野中兼山、坂本龍馬、後藤象二郎、板垣退助、中江兆民、浜口雄幸、寺田寅彦など多数輩出されている。寺伝によれば聖武天皇が夢の中で唐の五台山の文殊菩薩を拝し、行基にこのことを告げて「日本に五台山に似た霊知を探し、かの山になぞらえて伽藍を建立せよ」命じられた。行基はこの地と見極め寺を建立。これが竹林寺の始まりである。それと竹林寺で有名なのは「坊さんかんざし買うをみた〜」と「よさこい節」に歌われている純信、おうまの物語。竹林寺の脇坊にいた僧純信が近くに住むイカケ屋新平の娘おうまに恋をしてカンザシを買い与えたという恋物語。
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山門への石段 | 仁王門 | 密迹金剛 | 那羅延金剛 | 境内から山門 |
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仁王門からの百二段の石段 | 本堂 | 大志堂 | 手水舎 | 五智如来 |
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五重塔 | 五重塔説明 | 子安地蔵尊 | 淡島明神 | 稲荷明神 |
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一言地蔵 | 一言地蔵尊 | 虚空蔵菩薩堂 | 納経所 | 竹林寺宝物館 |
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参考文献:徳島新聞社刊「四国霊場の旅」