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ベイシー写真館

■徳島県の他の古城跡

阿南市 牛岐城(うしきじょう)

 阿波九城(牛岐城)参照

阿南市 桑野城(くわのじょう)

城の形態平山城
別名栗栖城
所在地徳島県阿南市桑野町岡元
城の歴史城主・東条氏は甲斐武田氏の流れをくみ、東条信綱は甲斐守を名乗り天文年間に桑野に来住し、8つの村を領有した。天正3年(1575年)に長宗我部元親が阿波に侵入したとき城主東条関之兵衛は元親に帰属し、桑野城は阿波侵攻の拠点の1つとなった。関之兵衛はのち西方城城主となり、天正10年(1582年)に中富川の合戦に牛岐右京進、仁宇但馬守、四宮肥後守らとともに長宗我部方で参戦し、戦功をたてた。阿波平定以後、木津城城主となった。天正13年(1585年)、豊臣秀吉の四国攻めの時に桑野城も廃城となった。
築城年代天文年間(1532〜55)
築城主武田(東条)甲斐守信綱
城の現状
萬福寺萬福寺萬福寺境内の古い墓石群
桑野城跡遠景

阿南市 西方城(にしかたじょう)

城の形態平山城
別名西潟塁
所在地徳島県阿南市長生町西方
歴史東条紀伊守は桑野城城主東条関之兵衛の伯父。天正年間(1573年〜1592年)に東条氏が長宗我部氏に降ってから、三好氏に属する牛岐城城主新開道善に対峙するため、東条関之兵衛が西方城の城主になったと考えられる。天正13年(1585年)、豊臣秀吉の四国攻めの際に戦わずに関之兵衛は土佐へ逃亡、そのため関之兵衛とその弟・東条唯右衛門は元親によって処刑された。
築城年代永禄年間(1558〜70)
築城主東条紀伊守
城の現状現在西方山は日亜科学の所有になっており、遊歩道や各種案内板は日亜科学が整備している。山頂には現在、日亜科学によりLEDのモニュメントが点灯されているそうである。
登城口ずっと階段が続くここで半分(五合目)日亜化学のLEDモニュメント
西方城周辺古城案内日亜化学所有の西方山案内麓の八幡神社
日亜科学本社駐車場より見る西方山

                  西方山より見る阿南市街

阿南市 本庄城(ほんじょうじょう)

城の形態平城
所在地徳島県阿南市長生町本庄
城の歴史清原安芸守高国は他の八将とともに、牛岐城主、新開道善の配下であり、今市城主宇奈瀬対馬守や板西城主赤沢氏ら八将は高国に属した。天文21年(1552)の槍場の合戦では首級を挙げ、三好長治より名西庄を加増された。天正5年(1577)没。
築城年代永正3年(1506)
築城主清原安芸守高国
城の現状
土塁か櫓台跡西側は古い墓地

阿南市 上大野城(かみおおのじょう)

城の形態平山城
別名大野城
所在地徳島県阿南市上大野町
城の歴史上大野城は史料から見ると不明な点が多い。『古将記』では戦国時代には仁木伊賀守が居城したとされているが、『阿波誌』では仁木伊賀守は中大野城主となっている。中大野城は仁木右衛門がいたと記す記述(『古将記』)もあり、仁木伊賀守と仁木右衛門は同一人物かという記述もあり、伝承が錯綜して語り伝えられていたようである。上大野城は天正十年(1582)に長宗我部の侵攻により落城。
築城年代永禄年間(1558〜70)
築城主仁木伊賀守高長
城の現状城は上大野町の那賀川が大きく東に蛇行する地点の右岸にそびえる標高146mの城山山頂にある。山頂へは各所に「城山参道」の石柱があるので比較的分りやすいが、参道は一応簡易舗装はされているが、ほとんど車は通らないのか路面はコケが生えている状況で非常にすべりやすい。
登城口(城山山道)ここから登ります中腹にある木の鳥居山上の城山神社
城山神社(主郭跡)海抜143m主郭から西方の那賀川を望む那賀川から城山を望む

阿南市 中荘城(なかのしょうじょう)

城の形態平城
別名中庄城・湯浅城
所在地徳島県阿南市羽ノ浦町中庄
城の歴史中荘城について『古将記』は「中庄城、中庄主膳」「湯浅城、湯浅豊後守」と二城を併記して、城主が別になっている。天正十年(1582)中富川の合戦で討死。
築城年代戦国期
築城主湯浅豊後守国定・中庄主膳
城の現状
拳正寺(裏山が中荘城跡)観音山古墳中荘城跡遠景(西より)

阿南市 岩脇城(いわきじょう)

城の形態平山城
所在地徳島県阿南市羽ノ浦町岩脇
城の歴史城跡は阿南市羽ノ浦町岩脇の字妙見背後の取星寺がある標高107mの山塊にあったとされ『日本城郭大系』では霊岩山の中腹にあったとされる。城主は三枝紀伊守(藤原高則)は尾蘇山城守と称し、甲斐の国侍であった。戦国期には三好元長の配下で、岩脇、古庄(羽ノ浦)、新居見(小松島)を領有していた。城は天正十年(1582)に長宗我部の侵攻で落城した。
築城年代南北朝期
築城主三枝与一之助
城の現状城跡の妙見山、松寿山、霊岩山は岩脇公園としてよく整備され城跡とされる展望台からは阿南市街や紀伊水道が一望でき、ハイキングコースとなって山全体は見所一杯である。「徳島県の中世城館」によると、城跡は現在の取星寺、明現神社が主郭跡だそうです。城跡としての遺構は殆んど無し。
岩脇公園内、岩脇城跡岩脇公園案内板取星寺取星寺
明現神社阿南市・紀伊水道・那賀川を望む、左は霊岩山

阿南市 今津城(いまずじょう)

城の形態平城
所在地徳島県阿南市那賀川町今津浦
城の歴史天正十年(1582)長宗我部の侵攻により落城。今津浦には藩政期に川口番所と御分一所が置かれた。
築城年代不明
築城主平井対馬守
城の現状大久寺のすぐ南に高さ2m位の小山があり天守山と呼ばれて城主平井対馬守を祀った祠がある。元は櫓台の残欠と思われる。
大久寺天守山平井対馬守を祀った祠

阿南市 畑山城(はたやまじょう)

城の形態山城
所在地徳島県桑野町池ノ内
城の歴史『阿波誌』に天正4年(1576)に長宗我部元親が桑野義明に兵二百と共に守備させたとある。天正3年の元親の阿波南部侵攻により桑野城が阿波・土佐の境目の地域となり、三好方の牛岐城新開道善と土佐方に落ちた桑野城東條関之兵衛と度々合戦に及んだ。畑山城も桑野城の支城としてこの頃築城された。
築城年代戦国期
主な城主桑野義明
城の現状桑野城から南東に500mの距離で、阿南市池ノ内の城山(じょうやま)と呼ばれる標高55mの尾根先端に位置する。東條関之兵衛の桑野城とその北の高源寺城と一直線に並ぶ。周りは「城ヶ谷」「城ヶ下」「戦田」と城関連の地名が残る。
主郭跡土塁・空堀登城途中の溜池畑山城跡遠景(南西より)

阿南市 高源寺城(こうげんじじょう)

城の形態山城
所在地徳島県桑野町光源寺
城の歴史源康明は桑野城主東條関之兵衛の一族。桑野河内守康明は天正10年(1582)、阿波を平定した長宗我部により一宮成祐、新開道善らと同様に謀殺された。
築城年代戦国期
主な城主桑野河内守康明(源康明)
城の現状城跡は阿南市桑野町光源寺にある標高85mの南に延びる尾根先端に位置する。「徳島県の中世城館」によると山頂の主郭からは桑野城が一望でき、山上の山城部分と南の麓の居館部分で構成される。山上の遺構の保存状態は良好との事。
高源寺城跡遠景(南より)道路沿いの手書きの標識

阿南市 平島館(ひらしまかん)

城の形態平館
別名平島公方館・御所
所在地徳島県阿南市那賀川町古津
規模不明
城の歴史天文3年(1534年)に足利義維(義冬)が阿波守護・細川持隆に招かれ3000貫の所領を得て平島館に入り、9代平島公方・足利義根が文化2年(1805年)に京都へ移るまでの270年間、歴代平島公方が居住した。
築城年代天文3年(1534)
築城主足利義維(義冬)
主な城主足利義冬・義種ら九代
城の現状
平島公方歴史民族資料館阿波公方面影道案内公方館のミニチュア模型足利氏の家紋(二つ引両)が
入った長持
平島公方初代義冬公十四代将軍義栄公十代将軍義稙公
古津八幡神社平島公方墓所案内西光寺、公方墓所初代公方義冬公の墓
十四代将軍義栄公の墓十代将軍義稙公の墓平島公方の由来

阿南市 今市城(いまいちじょう)

城の形態平城
所在地徳島県阿南市宝田町今市
歴史城主宇奈瀬対馬守亀之丞はすぐ近くの本庄城、清原安芸守乗真の配下であった。永禄七年(1564)に中野島(阿南市)の領知をめぐって岩脇城主三枝紀伊守と争いを起こしたそう。天正十年(1582)七月、今市城は長宗我部の攻撃を受け、頑強に抵抗したが、多くの戦死者を出して落城した。
築城年代戦国期
築城主宇奈瀬対馬守亀之丞
城の現状現在残っている曲輪はほとんどが八幡神社の境内になっていて、現在建つ神社本殿は櫓台であったそうである。主郭の中央部に城主を祀る小祠がある。
今市城跡八幡神社八幡神社(櫓台跡)城主を祀る祠
主郭跡北東方面からみる城跡

阿南市 櫛坂城(くっさかじょう)

城の形態平山城
所在地徳島県阿南市阿瀬比町前田
城の歴史『阿波誌』に「アセビ村にあり湯浅丹後守據る所、藤原兼時の別塁」とされ、藤原兼時は仁宇城主湯浅対馬守とされ、湯浅丹後守はこの兼時の一族とされる。よって仁宇城の支城として機能したものと考えられる。
築城年代不明
築城主湯浅丹後守
城の現状県道195号線南の旧街道(現在は神社石垣が崩れて通行止め)神社社殿西側脇が虎口になる。比較的主郭や帯曲輪堀切等の遺構は残されている。
八幡神社参道八幡神社鳥居八幡神社裏山櫛坂城への虎口
主郭切岸、帯曲輪、
奥が二条の堀切
県道195号線より城跡を望

阿南市 野々島城(ののしまじょう)

城の形態山城
別名須藤城
所在地徳島県阿南市椿町野々島
城の歴史城主は『古将記』や『椿村史』では四宮和泉守となっているが和泉守は北泊城(鳴門)の城主であったとされる。戦国期の椿周辺の城主は椿城(四宮肥後守)・下福井城(四宮石見守)・大潟城(四宮外記)等であり、四宮氏一族が勢力を張った地域である。藩政期には椿泊の森甚五兵衛が城を修築して使用したものと考えられる。
築城年代平安末期
築城主四宮和泉守
城の現状現在、島はYMCA阿南国際海洋センターの管理している島で無人島、勝手に立ち入ることは出来ない。「徳島の中世城館」によると無人島だけあって曲輪や石積み切岸等の遺構が保存状態も良く残されているようである。山頂には狼煙台もあるそう。
対岸より見る野々島城址野々島城址縄張り図

阿南市 音坊砦(おとんぼうとりで)

城の形態平山城
別名須藤城
所在地徳島県阿南市新野町安行
城の歴史平和泉守信吉は山分城、福良出羽守と親交があり、三好長治の茨ヶ岡城の攻撃には細川真之に味方したが、荒田野口で防戦したが重傷を負った。彼は岡花の里から仁宇谷に通じる木戸で力尽きた。
築城年代戦国期
築城主平和泉守信吉
城の現状登城口からは比較的低い山(標高は333m)で、軽四であれば車でも行けそうだが、この日は生憎のどしゃ降りの雨上がりで、道は30度以上の勾配だし、おまけに道はこけが生えているので登城は断念。
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音坊山、へんろ道案内登山道入り口登山道入り口

阿南市 森甚五兵衛屋敷(もりじんごべえやしき)

城の形態平山城
別名椿泊城・松鶴城
所在地徳島県阿南市椿泊町東
規模屋敷は表の間や西の長屋・船具長屋・御鷹部屋・赤門・門長屋・書院・台所・風呂場は全部廊下で結ばれて、離れ座敷・小座敷や、土蔵4棟、御船家四、武具蔵、鎧蔵、火薬蔵があり小大名なみの規模であった。
城の歴史森家は淡路の由良を根拠としていた森家と、福良から鳴門を根拠としていた森家の宗家である。代々甚五兵衛を名乗り徳島藩の中老ながら小大名なみの邸宅を構えていた。森氏は天正13年(1585)に北条氏の韮山に水軍をもってこれを打ち破ったのをはじめ、文禄慶長の朝鮮の役に功をたてたり、大坂冬の陣では徳川家康から感状をもらった。そのため藩主蜂須賀至鎮は、藩の海上方に任命した。藩の水軍根拠地は徳島市の安宅・椿泊および淡路の洲本・岩屋におかれ藩船は二百数十隻にもなったそうである。
築城年代元和2年(1616)
築城主森志摩守村春
城の現状椿泊小学校が城跡地である。現存するのは海側に面した小学校基礎部分の石垣が残っている。乱積みでコーナー部分から小学校正門までは切り込みハギになっているが、これは小学校建設時に積まれたものと思われる。正門から西へ200m行った処が佐田神社で、ここは森氏が鳴門土佐泊で先祖の佐田九郎兵衛を祀っていたものを領知替えにより遷宮したもの。さらに西へ200m行った処に高野山真言宗道明寺があり森家の菩提寺であり、巨大な五輪塔が建っている。
阿波松鶴城 阿波松鶴城 阿波松鶴城 阿波松鶴城
松鶴城今も残る石垣
コーナー部分は近世のもの
森氏の先祖佐田久郎兵衛
を祀った佐田神社
阿波水軍森甚五兵衛家
歴代の墓
阿波松鶴城 阿波松鶴城 阿波松鶴城 阿波松鶴城
道明寺森村春の墓森元村の墓その他歴代当主
十五代の墓あり
阿波松鶴城
江戸時代に描かれた
森甚五兵衛屋敷

阿南市 伊島城(いしまじょう)

城の形態平山城
別名井島城
所在地徳島県阿南市伊島町瀬戸
城の歴史
築城年代南北朝期
築城主小笠原刑部
城の現状未登城

阿南市 大井城(おおいじょう)

城の形態平山城
別名服部城
所在地徳島県阿南市大井町中筋
城の歴史服部因幡守は天正4年(1576)に勝瑞を出奔し、仁宇山に拠った細川真之番役の一人とされる。また阿南市宝田町に別塁があった。城は天正年間に落城。
築城年代戦国期
築城主服部因幡守隆元
城の現状城は阿南市大井町の那賀川が大きく蛇行した面の標高40mの尾根先端に位置する。四国八十八箇所20番札所から21番太龍寺へ至る遍路道である。県道直上の城跡伝承地は昔から地元の人が「因幡はん」と呼んでいた墓所がある。
服部因幡守石碑服部因幡守石碑因幡はんと呼ばれる
城跡伝承地
因幡守(近世造り変えた)墓
伝承地にある五輪塔群五輪塔伝承地前の遍路道マップ

阿南市 島尻城(しまじりじょう)

所在地徳島県阿南市那賀川町島尻
城の現状現在は田圃、畑のみで遺構は何も無し。城跡の南、西、北を廻る用水路は地元では「ほり」と呼ばれているそうである。
島尻城跡、この付近

阿南市 岡山城(おかやまじょう)

城の形態平山城
別名須藤城
所在地徳島県阿南市新野町室ノ久保字岡山
築城主須藤豊後守行宗
城の現状日亜化学新野工場すぐ西の小山が城跡である。山頂に室姫神社があり、その境内がそのまま曲輪となっている。
岡山城登城口室姫神社参拝口登城途中の標識主郭跡
室姫神社主郭跡に立つ標識主郭西側が高くなっている、物見台か?物見台?跡
岡山城遠景(北から)

阿南市 古津城(ふるつじょう)

所在地徳島県阿南市那賀川町古津
城主越智兼常
城の歴史越智兼常は、古津竹右衛門と称し、河野氏の一族とされ、中富川で戦死。
城の現状遺構は何も無し。
古津城跡、この付近

阿南市 因幡守城(いなばのかみじょう)

所在地徳島県阿南市宝田町
城主服部因幡守
城の現状未登城

阿南市 井関谷城(いせきだにじょう)

所在地徳島県阿南市宝田町井関
城主猪防五郎右衛門
城の現状興隆寺から尾根西側の墓地に抜けて山を分断する切り通しがあるが、本来は堀切であったと考えられる。
井関谷城跡(東より)井関谷城跡(南より)興隆寺堀切

阿南市 花面城(はなめんじょう)

所在地徳島県阿南市新野町花面
別名花免城
城主花面右衛門四郎久渓
城の現状写真左手前の低くなだらかな斜面が城跡。手前の段々畑は元曲輪跡だそうです。
花面城跡

阿南市 大潟城(おおがたじょう)

所在地徳島県阿南市大潟町
城主四宮外記
城の現状
諏訪神社諏訪神社階段諏訪神社社殿階段途中の祠
神社境内(主郭跡)

阿南市 廿枝城(はたえだじょう)

所在地徳島県阿南市新野町新田
城主島田山城
城の現状JR新野駅から南へ約1km、市道脇に手書きの標識がある。地元では通称丸山といわれる小高い丘にあるが遺構等は無し。丸山の東側一帯を字城田、谷を城ヶ谷と呼ばれている。
手書きの標柱南からの遠望。

阿南市 岡城(おかじょう)

所在地徳島県阿南市上中町岡
城主岡甚亟
城の現状城跡は阿南市上中町を流れる岡川左岸の標高23mの独立丘陵にある。藩政期には岡の一里松付近に伝馬所が置かれていた。丘陵の東裾は開削され皇子神社が鎮座している。
麓の王子神社岡城跡遠望(南から)

阿南市 竹原城(たかわららじょう)

別名五箇荘城
所在地徳島県阿南市下大野町
城の現状未登城

阿南市 中大野城(なかおおのじょう)

所在地徳島県阿南市中大野町
城主仁木伊賀守
城の現状未登城

阿南市 宮内城(みやうちじょう)

所在地徳島県阿南市長生町宮内
城主宮内掃部守
城の現状八桙神社から南東に約300mの条理に沿った馬場が伸びるがこの馬場の西側の水田一帯が「大屋敷」と呼ばれ宮内城跡になる。八桙神社は平安時代に記録される式内社の中で石井町浦庄の多祁御奈刀弥神社の神社は阿波にあるのみ。
鳥居の左、水田が城跡桜並木左の水田が城跡八桙神社八桙神社
八桙神社八桙神社由来

阿南市 吉井城(よしいじょう)

所在地徳島県阿南市吉井町宮の前・加茂町南フケ
別名城が台
城主吉井左右衛門行康
城の歴史城主は吉井左右衛門行康。吉井氏は阿瀬川氏の一族で、天正5年今切城に退却した三好長治を、一宮・伊澤勢に加わり攻撃した。阿瀬川氏は当初吉井城に居城していたが、後に加茂城に移ったとの伝承がある。
城の現状城跡は受験で有名なお松大権現の東の標高243mの山頂に位置する。
阿波吉井城 阿波吉井城
頂上が城跡
(手前は加茂谷中学校)
お松大権現

阿南市 加茂城(かもじょう)

別名賀茂城
所在地徳島県阿南市加茂町吉元・大谷
別名賀茂城
城主阿瀬川左右衛門
城の歴史『城跡記』は主将阿瀬川左右衛門、『阿波志』では藤原兼継となっているが、藤原兼重の裔の兼休が加茂村に居り阿瀬川左右衛門を称したとなっている。阿瀬川氏は、元紀州阿瀬川西城の城主であった。
阿波加茂城 阿波加茂城
加茂城遠景(北東ヨリ)加茂城遠景(北西ヨリ)
写真右のあたりが居館推定地

阿南市 西加茂城(にしかもじょう)

所在地徳島県阿南市加茂町西加茂字堂の前
城主阿瀬川左右衛門
城の現状文献等には西加茂城の記述は無く、新に確認された。加茂城の出城。
阿波西加茂城 阿波西加茂城
西加茂城遠景
(那賀川対岸)橋は十八女橋
西加茂城遠景(北東ヨリ)

阿南市 橘城(たちばなじょう)

別名久保尾城
所在地徳島県阿南市橘町
城主東条出羽守光秀
城の現状
阿波橘城 阿波橘城
登城口頂上の郭跡

阿南市 山口城(やまぐちじょう)

所在地徳島県阿南市山口町字嵐谷
城の歴史由岐備中守は天正13年(1585)、蜂須賀家政が阿波入封の際発生した仁宇谷一揆に参加し、敗れて処刑された。
城主由岐備中守
阿波山口城 阿波山口城 阿波山口城 阿波山口城
裏山が城跡付近麓にある古い墓石群仁宇谷一揆供養塔(鷲敷町)仁宇谷百姓一揆説明板

阿南市 下福井城(しもふくいじょう)

所在地徳島県阿南市福井町山下
別名山下城
築城年代戦国期
城主四宮石見守
城の現状福井町山下の南東、標高45mの尾根頂部が城跡。松尾神社境内の裏(北側)が主郭の様である。遺構の保存状態は良好、「徳島県の中世城館」では城跡には石見守の祠があるらしいが発見できず。
阿波下福井城 阿波下福井城 阿波下福井城 阿波下福井城
手書きの標柱松尾神社松尾神社境内神社境内の裏が主郭
南東方向からの遠望

阿南市 椿地城(つばじじょう)

所在地徳島県阿南市福井町中内
城主四宮氏一族
築城年代戦国期
城の現状主郭やあと二ヶ処の曲輪の保存状態も良い。
阿波椿地城 阿波椿地城 阿波椿地城 阿波椿地城
椿地城(南から)登城口主郭跡虎口
阿波椿地城 阿波椿地城 阿波椿地城
曲輪城跡東側の溜池

阿南市 鍛冶ヶ峰(かじがみね)

所在地徳島県阿南市宝田町井関
城の現状未登城

阿南市 大谷城(おおたにじょう)

所在地徳島県阿南市長生町大谷
城主藤原武諸
城の現状未登城

参考文献「日本城郭大系」第15巻、香川・徳島・高知編、徳島県教育委員会「徳島県の中世城館」