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ベイシー写真館

今治城

日本100名城登城済城郭(※印未登城)

今治城、東から(中央は御金櫓)


今治城、南西方向から(天守と左は山里櫓)


大手一の門

今治城、北西方向から(右が武具櫓、左山里櫓)


山里櫓から天守閣を望む


今治城夜景(今治城記念はがきより)


今治城空撮画像(今治城パンフレットより)


今治城案内図

アクセスカウンター
今治城スタンプ

別名吹揚城
所在地 愛媛県今治市通町3丁目1-3
城地種類平城
築城年代慶長7年(1602)〜慶長13年(1608)
築城者藤堂高虎
主要城主藤堂氏、松平氏
文化財史跡区分愛媛県指定史跡

歴代城主一覧

藤堂家、外様大名二十万石
初代藤堂 高虎1600〜1608伊勢津藩に転封
松平家、譜代大名三万石
初代松平 定房1635〜16743万石→加増により4万石
二代 〃 定時1674〜1676
三代 〃 定陳1676〜1702分地により3万5千石
四代 〃 定基1702〜1732
五代 〃 定郷1732〜1763
六代 〃 定休1763〜1790
七代 〃 定剛1790〜1824
八代 〃 定芝1824〜1837
九代 〃 勝道1837〜1862
十代 〃 定法1862〜1871
グーグルマップ

今治城の概要

 今治城の地は瀬戸内海に面し、「吹揚の浜」と呼ばれた砂丘地帯であった。
7年(1602年)、藤堂高虎によって築城開始され、慶長9年(1604年)に完成した。普請奉行として渡辺了の名が知られている。今治城完成以前の今治の支配拠点は、唐子山山頂にあった国府城であったが、より能率的な都市経営を目指すため築城された。構造は、三重の堀に海水を引き入れた特異な構造で、当時は海から堀へ直接船で入ることができるなど海上交通の要所今治らしく海を最大限に活用した城となっている。日本三大水城の一つに数えられている。 二之丸に藩主館、中堀以内に側近武士の屋敷、外堀以内に侍屋敷、城門が9ヶ所、櫓が20ヶ所と非常に広大な造りだった。慶長14年(1609年)、高虎が伊勢国津城に移封となり、同時に天守は丹波国亀山城に移築されたと伝わる。高虎自身は移封されたが今治領2万石は飛び地として残り養子の高吉が居城した。
寛永12年(1635年)、高吉は伊賀国名張に移り、代わって伊勢国長島城より松平(久松)定房が入城し、以後、明治維新まで今治藩・久松松平氏の居城となった。


土橋の突き当りが枡形虎口
鉄(くろがね)御門
城内から見る鉄御門
海水取り入れ口
勘兵衛石説明
勘兵衛石
高麗門跡
高麗門跡
二ノ丸、左から藤堂高虎像、武具櫓、多聞櫓、右端が御金櫓
藤堂高虎公像
藤堂高虎公像
蒼吹の井
蒼吹の井戸跡
天守閣、南西から
天守閣、北西から
天守閣、東から
天守閣、南東吹揚神社から
天守、御金櫓、山里櫓
武具櫓スタンプラリー
御金櫓
山里櫓
武具櫓
各櫓方向案内
御金櫓、武具櫓間の土塀
狭間
御金櫓(中は現代美術品の展示)
山里櫓(中は掛軸、屏風等の古美術品)
武具櫓
山里櫓
武具櫓

武具櫓内展示品

鉄御門・武具櫓復元木軸模型
武具櫓復元天井梁・桁
犬走り説明
海水の堀説明
石落とし
桝形虎口説明
狭間説明
格子窓説明

山里櫓と続櫓門
櫓門内
山里櫓と続櫓門
山里櫓と続櫓門遠景
山里櫓下の庭園
奥に見えるのが山里庭園
土橋から山里高麗門
今治城跡石碑

本丸、天守へ

今治城沿革
天守本丸への門
天守本丸への門
天守本丸への門へ(本丸側より)
天守登城口
登城口
再建天守模型
今治城の別名
今治城の本丸
吹揚神社について
甲冑
刀剣
駕籠
今治城再建の鯱瓦
古着物
今治城、城郭古図
今治藩江戸上・中屋敷古図
飴買い幽霊図
家紋印
吹揚神社について
天守閣から望む今治市街、今治港、瀬戸内海(左にしまなみ海道も望めます)

犬走り
犬走り
今治城から移築の54番延命寺山門
村上海賊の本拠地:芸予諸島
今治城の堀の不思議
石垣に多用されている大理石
舟止

吹揚神社

吹揚神社
吹揚神社
吹揚神社
吹揚神社

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