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ベイシー写真館

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近畿地方

 京都府 伏見城
・別名ー桃山城、木幡山城
・城郭構造ー梯郭式平山城
・築城ー1592年(文禄元年)
・城主ー豊臣氏、徳川氏
・廃城ー1623年(元和9年)
・指定文化財ー伏見桃山陵が宮内庁 治定
・豊臣秀吉隠居屋敷
・指月伏見城時代
・木幡山伏見城時代
・徳川家康時代
・徳川家康再建時代

 京都府 亀山城
・別名ー亀宝城、亀岡城
・城郭構造ー平山城
・築城主ー明智光秀
・築城ー1578年(天正6年)
・城主ー明智氏、羽柴氏、石田氏
・廃城ー1877年
・明智光秀が丹波攻略の際にる亀岡盆地の中心であった亀山に築城・光秀は本能寺の変を起こし、羽柴秀吉に敗れて、逃走中に討死。天下を統一した秀吉の重要拠点として一門の羽柴秀勝・豊臣秀勝・豊臣秀俊や豊臣政権で五奉行の一人の前田玄以などが入った。
・秀吉の死後に天下を手中にした徳川家康もこの城を重要視し、慶長14年(1609年)に譜代大名である岡部長盛(1609年 - 1621年)を入封させ、丹波亀山藩主に任じた。
・現在城跡は大正時代に新宗教「大本」が購入、城跡全体が「大本」の本部が置かれていて、本丸跡等が立ち入り禁止である。
明智光秀公築城亀山城石碑外堀亀山城亀山城
亀山城内堀(現在は万祥池)市内にある明智光秀公像亀山城古写真


 京都府 勝龍寺城
・別名ー小竜寺城
・城郭構造ー梯郭式平山城
・築城ー室町時代か1339年
・城主ー細川氏、永井氏
・主な改修者ー細川藤孝
・廃城ー1649年(慶安2年)
・1339年、京都を伺う南朝方に対抗するため、北朝方の細川頼春が築いた城と言われてきたが歴史的根拠は無い
・戦国時代末期には淀古城と共に松永久秀、三好三人衆の属城となっていた
・織田信長は、永禄11年(1568年)、柴田勝家ら4人の家臣に先陣を命じ、桂川を渡河し三好三人衆の岩成友通が守る勝龍寺城を攻撃(勝龍寺城の戦い)
・元亀2年(1571年)、細川藤孝が山城西岡一帯を信長より与えられ勝龍寺城主となる
・勝龍寺城は細川忠興・ガラシャ夫妻ゆかりの城としても知られる
・本能寺の変の際に明智光秀方が占拠し拠点としたが、変から数日後の山崎の戦いで敗走した光秀は、勝龍寺城に帰城するも、羽柴秀吉軍の追撃を受け城を放棄
勝竜寺城、櫓と虎口勝竜寺城、隅櫓(東南角)と堀勝竜寺城、堀(東)勝竜寺城、北門と堀
                       
勝竜寺城、表門と虎口本丸跡本丸跡説明北門北東隅櫓
細川忠興とガラシャ(お玉)ガラシャおもかげの水ガラシャおもかげの水東辺土塁の石垣と井戸 井戸
北側、土塁と土塀
 滋賀県 長浜城
・別名ー今浜城
・城郭構造ー平城
・築城ー天正元年(1573年)
・築城主ー羽柴秀吉
・主な城主ー羽柴氏、柴田氏、山内氏(一豊系)、内藤氏(信成系)
・廃城ー慶長20年(1615)
・羽柴秀吉が浅井長政攻めの功で織田信長から浅井氏の旧領を拝領した際に当時今浜と呼ばれていたこの地を信長の名から一字拝領し長浜に改名した
・同3・4年頃完成し羽柴秀吉が入城した。城下町は小谷城下からそのまま移した。現在でも城下町には羽柴氏当時の面影や名残が残る。のちに天下人となる秀吉が最初に築いた居城であり
・天正9年、織田氏の中国遠征で不在であった羽柴氏のあと、信長は荒木村重討伐や越前一向宗制圧の功から堀秀政を長浜城主に任じた。
・天正10年に本能寺の変で、明智光秀の手により織田信長が殺害され、明智に加担した山本山城主の阿閉貞征が長浜城を占領した。羽柴氏の妻らは近隣の寺に逃れた。阿閉は山崎の戦いにも明智方として参加するが、明智は信長の仇討を掲げる羽柴方に敗戦し、阿閉は秀吉方に捕縛され阿閉一族全て処刑された。長浜城は羽柴氏の支配下に戻った。
・慶長11年に内藤信成・信正が城主になるが(長浜藩)、大坂の陣後の元和元年に内藤氏は摂津高槻に移封され、長浜城は廃城になった。
長浜城天守(再建)長浜城本丸跡長浜城天守(再建)太閤井戸
長浜城天守(再建)長浜城天守門多聞櫓(博物館)旧長浜領境界碑長浜城歴史博物館

四国地方

 愛媛県 川之江城
・別名ー仏殿城
・城郭構造ー山城
・築城主ー土肥義昌
・築城年ー南朝:延元2年/北朝:建武4年(1337年)
・城主ー河野氏、土肥氏、細川氏、長宗我部氏他
・南北朝時代、南朝方の河野氏の砦として、土肥義昌が南朝:延元2年/北朝:建武4年に川之江城を築いた
・南朝:興国3年/北朝:暦応5年・康永元年(1342年)に細川頼春の攻撃を受けて落城、土肥義昌は討ち死
・天正13年(1585年)に土佐の長宗我部氏の攻撃を受けて、川之江城は再び落城
・天正18年(1587年) 豊臣秀吉が四国へ侵攻を開始(四国攻め)。川之江城も豊臣軍による攻囲を受けたが、攻囲中の7月25日に長宗我部氏は降伏して、川之江城は開城となった
・天正12年(1584年) 関ヶ原の戦いの後に伊予国に移封された加藤嘉明が川之江を領すると、慶長7年(1602年)に城を織豊系城郭へと改築
・元和元年(1615年) 嘉明が居城を伊予松山城へ移すと川之江城は廃城になった
                    
川之江城、模擬天守川之江城史本丸跡説明大手門隅櫓
大手門、城内より隅櫓川之江城復元記念碑天守より川之江市街を望む

中国地方

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