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海部郡 海部城(かいふじょう)
阿波九城(海部城)参照
美波町 木岐城(ききじょう)
![]() | 平城 |
![]() | 徳島県海部郡美波町木岐 |
![]() | 『古将記』に「木岐城、木岐大膳助 正持、百五十貫」とあり、落城は由岐城と同じ天正3年(1575)。 |
![]() | 不明 |
![]() | 木岐大膳太夫正持 |
![]() | 木岐魚協裏に日吉神社があり、階段を登って鳥居手前を左に暫く行くと手書きの「砦跡」という標識が立っている。標高は約60mで、途中何箇所か当時からあると思われる石段や石垣がある。頂上には城山神社があり祠があり、取り巻くように低い土塁が確認できる。主郭北側に何段かの帯曲輪の確認できた。 |
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木岐城跡遠景 | 登山口は通行止 | 木岐魚協横から登城 | 日吉神社の鳥居を左へ |
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途中手書きの案内が 何箇所か有り | 当時の石段や | 石垣がある | 山頂主郭に建つ城山神社鳥居 |
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虎口にある城山神社祠 | 土塁 | 何段かの帯曲輪があり | 帯曲輪 |
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手書きの標識 | 主郭から見る木岐漁港 |
美波町 日和佐城(ひわさじょう)
![]() | 平山城 |
![]() | 徳島県海部郡美波町日和佐浦 |
![]() | 標高70m、70m×42m |
![]() | 日和佐備前守は天正5年(1577)の秋、長宗我部元親が阿波公方の権威を利用して南部の諸将を攻略、備前守も元親に人質を出して降伏、香宗我部親泰が支配した。 |
![]() | 元亀年間(1570〜73) |
![]() | 日和佐備前守 |
![]() | 山頂部には野外活動施設として町営の模擬天守が建てられている(もちろん天正の時代にこのような天守閣があったわけではない)。このような施設の建設に伴い曲輪や堀は大規模な削平でかっての地形は確認できない。南東にも曲輪が残存していたそうだが民家があり消失してしまったようである。JR日和佐駅前に蛇責めの石なるものがが現存している。 |
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日和佐城模擬天守遠景 (南より) | 城山公園登山口 | 日和佐城虎口 | 日和佐城模擬天守 (休館でした) |
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東曲輪より | 城山神社 | 城山神社由来記 | 二十三番札所、薬王寺 |
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蛇責めの石 | 蛇責めの石由来 |
美波町 由岐城(ゆきじょう)
![]() | 山城 |
![]() | 標高20m、主郭は40m×20m |
![]() | 徳島県海部郡美波町西由岐字東 |
![]() | 城主については『古将記』に「由岐城 由岐隠岐守有興 平氏、紋釘貫ノ坐百八十貫」とある。落城時期は日和佐城が長宗我部元親に帰服した天正5・6年という説もある。 |
![]() | 由岐隠岐守有興 |
![]() | 元は後山との尾根続きであったが町道により分断され独立丘陵になっている。城跡は城山公園として整備され、公園内には阿波沖海戦(wikipedia)案内板や便所、休憩所等が設けられている。虎口横には城主を祀ったと思われる小祠があり。 |

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町道脇の城山公園入口案内 | 頂上の主郭 | 東虎口脇にある祠 | 阿波沖海戦案内板 |
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主郭東の一段下がった曲輪 | 北側(港)から見る城跡 | 幕府軍艦「海陽丸」が搭載したのと同じ16センチキャノン砲 |
美波町 阿部城(あぶじょう)
![]() | 平城 |
![]() | 徳島県海部郡美波町阿部 |
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![]() | 戦国期 |
![]() | 阿部左五郎時住 |
![]() | 未登城・未訪問 |
美波町 赤松城(あかまつじょう)
![]() | 山城 |
![]() | 影野城・城の台 |
![]() | 20m×10m |
![]() | 徳島県海部郡美波町赤松字影野 |
![]() | 不明 |
![]() | 不明 |
![]() | 未登城・未訪問 |




美波町 後山城(うしろやまじょう)
![]() | 平城 |
![]() | 海部城・尼木城 |
![]() | 徳島県海部郡美波町日和佐浦 |
![]() | 日和佐城の詰城(見張り櫓) |
![]() | 戦国期 |
![]() | 日和佐備前守 |
![]() | 城跡は海亀で有名な大浜海岸北の標高203mの山上。山上付近には旧日本軍の高射砲台や弾薬庫・兵舎跡等が残っているそうである。 |
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後山城遠景 | 海亀の大浜海岸より望 |
海陽町 加島城(かしまじょう)
![]() | 平城 |
![]() | 浅川城 |
![]() | 徳島県海部郡海陽町浅川字加島 |
![]() | 永禄・元亀年間に浅川兵庫頭有辰が拠った。加島は現在半島状になっているが、江戸時代以前は島であった。加島南端には、寛政5年に遠見番所と砲台(石火矢床)が置かれていたそうである。 |
![]() | 元亀年間(1570〜73) |
![]() | 浅川兵庫頭有辰 |
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登城口の標識 右方が居館跡 | 加島城跡案内 | 加島城石柱 | 森繁久彌氏 ゆかりの地だそうです |
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居館跡 |
海陽町 吉野城(よしのじょう)
![]() | 平城・平館 |
![]() | 愛宕山の城 |
![]() | 海陽町史跡 |
![]() | 徳島県海部郡海陽町吉野字西久保・片山 |
![]() | 標高100m |
![]() | 祇園山城主として宍喰に拠点を置いていた藤原持共が永正年間に支城であった吉野城に本拠を移したもの。更にその子孫の海部将監藤原友光に至り海部城を築いて鞆に本拠を移したとされて、吉野城は海部城への移転後も一族が守備していたが、天正3年(1576)、長宗我部元親の侵攻により海部城は落城し、同時に吉野城も落城した。 |
![]() | 永正年間(1504〜21) |
![]() | 藤原下野守持共 |
![]() | 吉野城居館跡には「徳島県の中世城館」では五輪塔や堀・土塁・井戸の痕跡があるそうだが確認出来なかった。 |
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居館跡と山城 | 城跡碑と顕彰碑 | 史跡吉野城址 |
海陽町 吉田城(よしだじょう)
![]() | 山城 |
![]() | 徳島県海部郡海陽町吉田 |
![]() | 海陽町史跡 |
![]() | 『阿波誌』によると最初吉田城には吉田庸俊が拠ったが、天正10年(1582)長宗我部元親が阿波制圧後に家臣の北村閑斎を入れた。天正13年(1585)の羽柴軍の四国攻略による長宗我部の阿波退去により廃城となった。 |
![]() | 永正年間 |
![]() | 吉田庸俊 |
![]() | 吉田庸俊・北村閑斎 |
![]() | 城跡は、海陽町中央部、海部川右岸の山塊にあり、海部川を挟み東の吉野城と対峙。城跡は標高約30mの本城と、西の標高132mの山頂に築かれた山城T、本城北の標高80mの山頂部に築かれた山城Uからなる。城跡はおよそ東西700m、南北400mの大規模なもので、尾根の突起を利用して独立した郭が連続した構造は徳島市の一宮城を彷彿とさせる。 |
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東より望む本城跡と山城U | 登城口 | 春日神社 | 春日神社(郭U) |
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土塁 | 土塁 | 土塁 | 郭V |
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主郭 | 石柱 | 石垣の残欠 |
海陽町 祇園城(ぎおんじょう)
![]() | 平山城 |
![]() | 宍喰北城 |
![]() | 徳島県海部郡海陽町久保字久保 |
![]() | 不明 |
![]() | 藤原持共 |
![]() | 藤原持共・本木下野守 |
![]() | 『阿波誌』に祇園山城として記載されており、城主は藤原持共。ほぼ真南500mにある愛宕山城(宍喰南城)に対して、宍喰北城と呼ばれている。城跡は八坂神社北東の標高40mの尾根の突端。城跡の真下が阿佐海岸鉄道のトンネルである。 |
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祇園城遠景 | 麓の大宮八幡宮 | 大宮八幡宮脇の登城口 | 長い石段が続く |
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曲輪跡の貯水槽 | 堀切 |
海陽町 愛宕城(あたごじょう)
![]() | 平山城 |
![]() | 宍喰南城 |
![]() | 徳島県海部郡海陽町宍喰浦字宍喰 |
![]() | 『阿波誌』に宍喰甫塁として記載され、天正5年(1577)長宗我部元親の侵攻により落城、その後元親の家臣、野中圀吉が守備した。 |
![]() | 不明 |
![]() | 藤原元信 |
![]() | 宍喰小学校南の標高24m程の独立丘陵、城跡の主郭は現在愛宕神社の境内地で、東西30m、南北25mあり、縄張りは単純で周りに小曲輪が3ヶ所程あるのみ。ここも海、川の近くで津波避難所になっている。 |
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愛宕城遠望 | 愛宕神社鳥居からの登城口 | 愛宕神社 | 五輪塔残欠あり |
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主郭西の小曲輪 |
牟岐町 牟岐城(むぎじょう)
![]() | 平山城 |
![]() | 徳島県海部郡牟岐町大字牟岐浦字八幡山 |
![]() | 標高50m、主郭25m×30m |
![]() | 牟岐城の城主は牟岐大膳允であり、天正3年(1575)に長宗我部元親の軍が海部に侵入し、海部城が落ちると、牟岐大膳允は人質を出して降伏した。その後、海部城と同様に香宗我部親奏の支配下に置かれた。 |
![]() | 元亀年間(1570〜73) |
![]() | 牟岐大膳允 |
![]() | 城跡は海部郡牟岐町牟岐浦の港に面した標高61mの観音山山頂にある。主郭は比較的残っているが、周りの切岸が2〜3段の削平段があり現在は墓地となっているが、当時は帯曲輪だったと思われる。 |
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城跡の観音山 | 山頂の曲輪広さ約200u | 山頂の観音堂 | 途中の金毘羅神社,曲輪か? |
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海蔵寺 |
牟岐町 牟岐古城(むぎこじょう)
![]() | 平山城 |
![]() | 徳島県海部郡牟岐町大字中村字杉谷 |
![]() | 『阿波誌』に牟岐塁として記載されている。東に甕城ありとの記述は牟岐浦の牟岐城を指すものと考えられる。天正3年(1575)長宗我部の海部郡侵攻に伴い落城、元親は香宗我部親奏を牟岐の城に入れ郡代とした。 |
![]() | 不明 |
![]() | 藤原行久 |
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牟岐町 台の山城(だいのやまじょう)
![]() | 徳島県海部郡牟岐町大字中村・河内 |
![]() | 牟岐古城の城主が設置した物見台であった。 |
![]() | 牟岐町教委に問い合わせたが途中崖崩れで登るのは危険とのことで断念。現在は曲輪に電波反射板が設置されているとの事で麓から確認できる。 |
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南から望む | 東から望む | 台の山城縄張り図 |
牟岐町 海部古城(かいふこじょう)
![]() | 徳島県海部郡海陽町奥浦・鞆浦 |
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![]() | 未登城・未訪問 |
牟岐町 角力取山城(すもうとりやまじょう)
![]() | 徳島県海部郡海陽町宍喰浦字正梶 |
![]() | 古愛宕城・正梶山城 |
![]() | 愛宕城主、藤原元信が初期に構えた城。 |
![]() | 藤原元信 |
![]() | 未登城・未訪問 |
参考文献「日本城郭大系」第15巻、香川・徳島・高知編、徳島県教育委員会「徳島県の中世城館」
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