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ベイシー写真館

■徳島県の他の古城跡

小松島市 立江城(たつえじょう)

平城
所在地徳島県小松島市立江町清水
城の歴史小笠原長時は天文18年(1549)に武田信玄と戦って破れ、信濃深志城から紀伊の広城へ仮寓した。その後弘治年間(1555〜58)に三好氏の誘いにより那西郡中村(小松島大林町)に移り住んだ。その後長時は京都に去り、長子の長幸が城主となった。その子兼幸の時代(天正年間)には立江に城を築いた。
築城年代天正年間(1573〜92)
築城者小笠原兼幸
城は秋葉神社から景岩寺にかけてが城跡だそうである。景岩寺下の400u位の果樹園が居館跡らしく、そのすぐ西側の狭地に城主一族の墓が8基ほど並んでいる。
景岩寺秋葉神社城主一族の墓主郭、上が景岩寺

小松島市 櫛渕城(くしぶちじょう)

城の形態平山城
別名秋元城
所在地徳島県小松島市櫛渕町諏訪
城の歴史現在、遺構は郭、井戸程度残っている。地名に奥城・木内の内が残っている。信州秋本城主だった秋本和泉守盛貞が武田信玄の追われ、文亀2年(1502)、三好之長を頼って阿波へやってきた。盛貞の子成公の時代は勝瑞三好氏の最盛期であった。成公は櫛淵左近と称して父の盛貞と交代で勝瑞城へ詰めていたが、天正10年、中富川の合戦で戦死した。
築城年代承久3年(1221)
築城主秋元二郎兵衛尉
城の現状本丸と思われる郭跡は企業の大きな倉庫が建っており郭全体を見るのは難しいが、本田昇氏の縄張り図、鳥瞰図を元に調べると比較的遺構の保存状態も良い。
主郭部分櫛渕城標柱虎口部分帯曲輪
八幡山との間の深い濠井戸(乾の井)八幡神社右の小山が城跡、山の中央白い建物が主郭跡
北から望む右の小山が城跡

小松島市 新居見城(にいみじょう)

城の形態平城
別名天神山城
所在地徳島県小松島市新居見町
歴史治承元年(1177)、鹿ヶ谷の陰謀の首謀者で平清盛に惨殺された西光法師(阿波市広長城主藤原師光)の六男近藤六親家の居城。親家は板野郡板西城主であったが、子がなかったので赤沢兵庫頭宗定に板西城を譲り、自身は新居見へ移住したといわれている。戦国期にはこの新居見城は赤沢一族が居住していた。源義経が勝浦に上陸した時、恨みのある平家方田口一族の熊山城桜間城攻めの手引きをした。戦国期は三好方に属し中富川の合戦で落城した。
築城年代鎌倉末期
築城主近藤六親家
城の現状小松島市義経ドリームロードのルートの一つ、石柱が建っているのみで、遺構は無し。
新居見城跡新居見城跡遠景南より源義経騎馬像(旗山)

小松島市 中村城(なかむらじょう)

城の形態平城
別名大林城
規模120m×120m
所在地徳島県小松島市大林町中村
城の歴史城主小笠原氏が立江城に移った後は、中村城は廃城か立江城の出城になった。
築城年代弘治年間(1555〜58)
築城主小笠原長幸
城の現状未登城

小松島市 坂野城(さかのじょう)

城の形態平城
所在地徳島県小松島市坂野町
城の歴史禄高は百貫程度、遺構はないが『慶長検地帳』に「大場屋敷・太郎丸・自然寺・西方寺・田北屋敷・居屋敷」等があるが、これが坂野城跡と思われる。
築城年代室町期
築城主藤原武宗
城の現状現日吉神社・田北公会堂この一帯が城跡伝承地。
日吉神社・田北公会堂

小松島市 田浦城(たうらじょう)

城の形態平城
規模
所在地徳島県小松島市田浦町北原
城の歴史南北朝期に阿波山岳武士は南朝方につき足利尊氏に従った細川氏は武家方について激しく抗争したが、安宅氏は南朝方に属した。南朝の敗北と共に安宅氏も滅びた。その後、戦功により宍草氏が田浦城に入り、代々勝浦郡を領知した。
築城年代建武年間(1334〜38)
築城主安宅氏・宍草玄仲
城の現状近くには前山古墳や田浦遺跡があるが城跡に関してははっきりしない。
宍草玄仲の墓(丈六寺)前山古墳
(この近くが城跡らしい)

小松島市 弁天山砲台(べんてんやまほうだい)

城の形態砲台跡
所在地徳島県小松島市金磯
城の歴史金磯弁財天の丘陵上に弁天山砲台(8門を備え、周囲には火薬庫、兵舎、道具舎、射撃練習場等の施設)を築いて徳島藩に私費を投じ献上した。これにより後に士分(郷士格)に取り立てられた。明治2年(1869年)まで砲台の監守をつとめた。
築城年代文久2年(1862)
築城主多田宗太郎
城の現状旧国道55号線から東へ入ってすぐ、金磯弁財天の丘陵にある。史跡の保存状態は他に比べると比較的良い。
弁天山砲台記念石柱弁天山砲台案内板登り易い階段です太鼓橋(近世の作)
砲台跡の休憩所から山頂の周りの石垣山頂(番所跡)にある神社休憩所(番所)跡
休憩所より石板、字は読めませんでした火薬庫や訓練場があったと思われる場所、広さは2反以上はあるようです西から見た砲台跡

小松島市 中田城(ちゅうでんじょう)

所在地徳島県小松島市中田町
築城主桜場四郎
城の歴史天暦年間(947〜957)に平氏に属したため源氏に滅ぼされた。義経の屋島攻めの途中制圧された石井の桜庭城に拠った桜間(庭)介良遠の一族と思われる。
城の現状未登城

小松島市 中郷城(なかのごうじょう)

所在地徳島県小松島市中郷町字泰地
別名泰地城・藤原兼時屋敷跡
城の現状未登城

小松島市 大葉城(おおばじょう)

所在地徳島県小松島市坂野町大場
別名藤原武宗屋敷跡
城の歴史『阿波誌』に「藤原武宗は大葉と称し坂野に居り、里を大場と名付く」とあり、『城跡記』記載の大葉城と考えられる。『大系』では坂野城も同一としているが『古将記』や『阿波誌』では明確に分けられており、別の城と考えるべきである。禄高は百貫程度。
城の現状坂野八幡神社や隣接する神宮寺の西側が城跡だそう。大場の中央部付近が「御所の内」と呼ばれていた。
坂野八幡神社神宮寺

小松島市 目佐城(めさじょう)

所在地徳島県小松島市坂野町目佐
城の歴史詳しい史料は存在しないが、付近には御殿前・桜の内・馬川などの地名が残っている。
城の現状こんな処に細川掃部頭真之を祀った神社がありました。家臣の中角六郎左衛門が茨ヶ岡で敗死した際の首級とともにこちらに隠れ住んだそうである。
細川神社細川神社由来

小松島市 奥条城(おくじょうじょう)

所在地徳島県小松島市櫛渕町字奥条
城の歴史
主な城主秋元紀伊守
城の現状未登城
法泉寺秋本紀伊守の墓土塁

参考文献「日本城郭大系」第15巻、香川・徳島・高知編、徳島県教育委員会「徳島県の中世城館」