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城郭構造 | 古代山城(神籠石式山城) |
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所在地 | 総社市奥坂 |
築城主 | 大和朝廷(推定) |
築城年 | 七世紀後半頃 |
遺構 | 城門・角楼・石塁・土塁・水門・敷石 |
指定文化財 | 国の史跡 |
再建建造物 | 城門・角楼・土塁 |
白村江の戦いで唐・新羅連合軍に大敗した後、大和朝廷は倭(日本)の防衛のために、対馬〜畿内に至る要衝に様々な防御施設を築いている。鬼ノ城は史書に記載が無く、築城年は不明であるが発掘調査では7世紀後半に築かれたとされている。標高約400mの鬼城山山頂一帯に、高さ6mにも及ぶ土塁や石塁が約2.8kmにわたって巡らされた古代の山城。実物大で復元された西門をはじめ,城内からの排水施設である水門,兵糧を蓄えた礎石建物跡などがある。また昔話「ももたろう」の原形といわれる「温羅伝説」の地として知られている。
鬼ノ城は、標高397mの吉備高原の南縁に築かれています。眼下には古代吉備の中枢地たる総社平野と足守川中流域平野を望み、快晴時には瀬戸内から遠く四国の山並み望見される遠望絶景の地に立地しています。古代山城は、朝鮮式山城と神籠石と呼ばれるものがありますが、どちらも朝鮮半島に起源を求めることができます。城壁は、要所に高石垣を交えつつ、強固な土塁を2.8kmにわたって巡らせています。城壁は幅約7m、高さ約6mあり、外・内側に平たい石が1.5m幅で敷かれています。城門は東西南北の4か所にあり、いづれも通路部分に敷石があり,
西門・南門はほぼ同規模の門で、12本の柱で支えられた楼門と考えられます。西門の近くには角楼と呼ばれる防御施設があります。城内は、30haに及ぶ広大さで、城庫とみられる礎石建物跡も6から7棟発見されています。
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