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ベイシー写真館

岡山城

日本100名城登城済城郭(※印未登城)

岡山城一覧


岡山城、城主家紋

岡山城古写真


烏城(岡山城)公園案内図


岡山城、後楽園から

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岡山城スタンプ

別名烏城(うじょう)・金烏城(きんうじょう)
所在地 岡山市北区丸の内2−3−1
城地種類梯郭式平山城
築城年代1346年〜1369年(正平年間)
築城者上神高直?
主な改修者宇喜多秀家、小早川秀秋、池田忠雄
主要城主宇喜多氏、小早川氏、池田氏
文化財史跡区分国重要文化財(月見櫓、西の丸西手櫓)

歴代城主一覧

宇喜多家、小早川家
天正元年(1573)開府(石山の城、9年間)宇喜多直家
天正10年(1582)岡山城初代(19年間)宇喜多秀家
慶長5年(1600)二代(2年間)小早川秀秋
池田家
慶長8年(1603)三代、十三年間池田 忠継
元和元年(1615)四代、十七年間池田 忠雄
寛永九年(1632)五代、四十年間池田 光政
寛文十二年(1672)六代、四十二年間池田 綱政
正徳四年(1714)七代、三十八年間池田 継政
宝暦二年(1752)八代、十二年間池田 宗政
明和元年(1764)九代、三十年間池田 治政
寛政六年(1794)十代、三十九年間池田 斉政
天保四年(1833)十一代、九年間池田 斉敏
天保十三年(1842)十二代、二十一年間池田 慶政
文久三年(1863)十三代、五年間池田 茂政
明治元年(1868)十四代、一年間池田 章政
グーグルマップ

岡山城の概要

 岡山城は本格的な城作りの始まりとされる織田信長の安土城にならって作られた城郭建築である。かっての岡山城は、現在の天守のある位置より西に300m程の高台(石山)にあった。当時、旭川河口部は複数の派川に分岐しており、その中の大洲原と呼ばれる広大なデルタ地帯中央に「岡山」(柴岡山とも)、その西隣に「石山」、さらにその北西には「天神山」(天満山)の3つの丘が連なり、各時代ごとに要害として使用されたとされる。その中の石山にあった石山城(いしやまじょう)に宇喜多直家が入城・改築し、後に子の宇喜多秀家が隣接する岡山に新たに本丸を設け、石山城を取り込む形で城郭が建造された。これが岡山城である。城の縄張は基本的には梯郭式となっており、三段の城郭配置が西側の一方だけに広がる平山城となっている。言いかえると本丸の北から東には郭の無い、非常に防備が薄い縄張である。そのため旭川の流路を変更し、天然の堀として東側の備えに利用したとされる。さらには郭の代りとして、「後園(後楽園)」が築かれたともされる。 天守は4重6階の複合式望楼型で、出入り口は付属している塩蔵に設けられている。特に初重平面形状が歪んだ多角形をしているため、同じく歪んだ多角形平面の天守台を持つ安土城天主を模したものではないかと言われているが、羽柴秀吉による大坂城天守を模しているという説もある。その外観は黒漆塗の下見板が特徴的で、この印象から「烏城(うじょう)」とも呼ばれ、同じ山陽道の隣県の「白鷺城(はくろじょう)」とも呼ばれる姫路城と対比されることもある。元禄時代の古地図からは、五重の濠に囲まれた城郭と、南北3.5km、東西1.3kmにおよぶ城下町の姿が伺える。



内堀南西角から、右が内下乗橋(目安橋)現在は土橋
土橋の突き当りが大手門枡形虎口
目安橋説明
烏城公園
大手門石垣
鉄(くろがね)門跡
鉄(くろがね)門跡
鉄(くろがね)門説明
不明(あかずの)門
不明(あかずの)門
不明(あかずの)門説明
天守閣(本壇より)
天守閣(北より)
天守閣、登城口
不明(あかずの)門(本壇より)
高麗門跡
大納戸櫓説明
大納戸櫓跡
多聞櫓説明
多聞櫓跡
多聞櫓説明
多聞櫓跡
表書院跡、中央が月見櫓(重文)
月見櫓
国宝月見櫓
国指定重要文化財「月見櫓」
数寄方櫓説明
数寄方櫓跡
廊下門
廊下門(表書院より)
廊下門
廊下門説明
穴蔵
穴蔵説明
宇喜多秀家築城時の石垣
宇喜多秀家築城時の石垣
 〃 築城時の石垣説明
 〃 築城時の石垣説明
 〃 築城時の石垣
 〃 築城時の石垣
宇喜多秀家築城時の石垣
 〃 築城時の石垣説明
 〃 築城時の石垣説明
 〃 築城時の石垣説明
天守閣の礎石
天守閣の礎石説明
六十一雁木上門
六十一雁木上門説明
旭川と月見橋
後楽園へ
岡山後楽園
後楽園水辺の回廊

天守閣展示物

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