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ベイシー写真館

津山城

日本100名城登城済城郭(※印未登城)

津山城航空写真        津山城古写真


津山城のかっての建造物


津山郷土博物館の津山城の復元模型


津山城、備中櫓

津山城、備中櫓


津山城、備中櫓

西から見た津山城石垣群

津山城、備中櫓

三の丸高石垣

アクセスカウンター
津山城スタンプ

別名鶴山城
所在地 岡山市北区丸の内2−3−1
城地種類梯郭式平山城
天守構造独立式層塔型4重5層
築城年代嘉吉年間(1441〜1444)
築城者山名忠政
主な改修者森忠政
主要城主山名氏、森氏、松平氏
文化財史跡区分国の史跡

歴代城主一覧

森家
初代慶長八年      1603〜森 忠政
第2代寛永十年      1634〜森 長継
第3代寛文二年      1674〜森 長武
第4代天和二年〜元禄十年 1686〜1697森 長成
松平家
初代元禄十年      1698〜松平 宣富
第2代享保五年      1721〜松平 浅五郎
第3代享保十年      1726〜松平 長熈
第4代享保二十年     1735〜松平 長孝
第5代宝暦十一年     1762〜松平 康哉
第6代寛政五年      1794〜松平 康又
第7代享和二年      1805〜松平 斉孝
第8代天保元年      1831〜松平 斉民
第9代嘉永七〜明治二年  1855〜1869松平 慶倫
グーグルマップ

津山城の概要

 津山城は慶長8年(1603)、美作国18万6千5百石の国持ち大名となった森忠政は、吉井川と宮川の合流点を見下ろす小高い「鶴山」を城地と決定して、翌慶長9年(1604)「鶴山」を「津山」と改めて城と城下町の建設を開始。途中、江戸城や駿府城普請、大坂の陣などに多くの年月を費やされたが、足かけ13年を経て元和2年(1616)にようやく完成した。
往時は外郭を含めて、広島城の76棟、姫路城61棟をしのぐ77棟の櫓が建ち並び、明治初頭にその様子を撮影した写真が残されている。また、近隣の津山郷土博物館には、文献や古写真に基づいて製作された津山城の復元模型があり、往時の姿を窺うことができる。
城主の森氏は忠政から4代続いたが、元禄10年(1697)、4代藩主長成の跡継ぎを立てられず領地没収となり、翌元禄11年には松平宣富が美作10万石を領し津山城主となり、その後松平氏は慶倫まで9代続き明治維新を迎えました。
現在は鶴山公園(かくざんこうえん)として桜の名所となっており、日本さくら名所100選{wiki pedia}にも選ばれている。


森忠政公像
津山城跡案内
津山城復元図
津山城石柱
津山城冠木門(公園入園口)
三の丸
三の丸
冠木門から三の丸へ
冠木門から三の丸へ
津山城絵図(元禄10年頃)
津山城絵図説明
表中門跡
左の石垣が見付櫓跡
見付櫓・玉櫓への石段
四足門説明板
切手門跡、石段を上がると弓櫓、辰巳櫓
弓櫓跡
表鉄門跡
表鉄門跡説明
弓櫓台から見る津山市街(南方向)
本丸、表御殿跡
本丸、表御殿跡説明
常用の古井戸
長櫓跡
涼櫓跡
備中櫓
備中櫓説明
五番門
五番門と土塀説明
五番門と土塀
七番門と虎口
七番門と虎口説明
天守台説明
天守台への石段
天守台
天守台
多聞櫓跡説明
天守台から西方面の津山市街、下のコンクリート面が多聞櫓跡(パノラマ加工したため湾曲してますが実際は直線です)
腰巻櫓跡
石段降りた処が裏鉄門跡
裏鉄門跡説明
裏鉄門跡
裏中門へ、中央石垣は小姓櫓
長屋櫓跡
粟積櫓跡
月見櫓跡
太鼓櫓跡
太鼓櫓跡
石垣の上は全て土塀、植栽は桜
石垣の上は全て土塀、植栽は桜

備中櫓内

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