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ベイシー写真館

■徳島県の他の古城跡

徳島市(その1) 一宮城(いちのみやじょう)

 阿波九城(一宮城)参照

徳島市(その1) 夷山城(えびすやまじょう)

平山城
別名八万城・聖城・盾城
所在地徳島市八万町夷山
100m×25m
南北朝期は八万城といわれた説がある。初代城主細川真之は天文21年在城と『阿波国郡村誌』に記されている。弘治年間は篠原佐吉兵衛が在城。永禄5年、細川真之は勝瑞の三好義賢と共に和泉久米田で畠山高正と戦ったが敗れて自殺
天文21年(1552)
細川掃部頭真之
細川掃部頭真之・篠原佐吉兵衛・庄野和泉守兼時
城の現状現在は夷山緑地公園として整備されている。城は10m前後の丘の上にあったらしいが、本丸跡は麓の圓福寺の敷地の一部で立入禁止。この城跡の南に長宗我部元親にこの城で謀殺された一宮長門守成祐の墓がマンションの片隅にある。
夷山城址石柱この丘の上に城があったと思われる。左の天守の様な建物は圓福寺です丘を南から望む一宮長門守成祐の墓
右の五輪塔が細川掃部頭真之の墓

徳島市 上八万城(かみはちまんじょう)

城の形態平山城
別名山上城
所在地徳島上八万町上中筋
城の歴史城主野田采女正は野田山城主野田内蔵助の兄にあたり、天正10年11月(1582)土佐の長宗我部元親のために、一宮長門守成助・河南駿河守吉清らと共に殺された。
築城年代戦国期
築城主野田采女正
城の現状園瀬川右岸の標高20m程の河岸段丘上である。「徳島県の中世城館」によると8m×5m位の櫓台状の高まりがありそこに祠が祀られているそうだが、竹薮や雑木がひどくて登るのは断念。
中央の山上

徳島市 野田山城(のだやまじょう)

城の形態平山城
別名寺山城
所在地徳島上八万町
城の歴史城主野田内蔵助は上八万城主野田采女正の弟。槍場の合戦において芝原城主久米義広・佐野塚城主佐野平明・蔵本城主小倉重信・英城主仁木義胤らと共に三好義賢と戦い、淡路の野口備前守と刺し違えて戦死した。
築城年代戦国期
築城主野田内蔵助
城の現状野田山(標高約40m)への登山口は唯一あったが塀に囲まれた中にあるので断念。里城が山の下というので円光寺隣の民家でお話を伺うと「ウチが城の子孫」という事でしたが、お名前お聞きすると野田性ではなくはっきりした事は不明。
野田山城跡(麓より)円光寺

徳島市 鬼神岳城(きじんがたけじょう)

城の形態平山城
別名宅宮城
所在地徳島市上八万町大里
規模100m×120m
歴史河南駿河守吉清は、家系は小笠原源氏。天正10年(1582)11月夷山城において長宗我部元親のために、一宮長門守成助らと共に殺された。
築城年代不明
築城主河南駿河守吉清
城の現状城跡は園瀬川が大きく蛇行する突き出した標高56mのやせ尾根山頂部に位置する。山の西南部は急な崖になっており、下は「鬼神ヶ渕」と呼ばれる深い渕となっている。
鬼神岳城縄張り図鬼神岳城を南西側から鬼神岳城を南東側から

徳島市 英城(はなぶさじょう)

城の形態平城
別名花房城
所在地徳島県徳島市上八万町
城の歴史仁木日向守高将は天文22年(1553)3月名東郡東黒田(現国府町)の槍場の合戦で主君細川持隆を殺した逆臣三好義賢を討つため、芝原城主久米義広、佐野塚城主佐野平明らと義賢の軍と戦ったが、義広と共に討死を遂げた。
築城年代戦国期
築城主仁木日向守高将
城の現状しらさぎ台東南の西願寺山(標高約40m)の頂上付近にあったようである。
英城跡、西願寺山遠景
西願寺

徳島市 沖ノ島城(おきのしまじょう)

城の形態平城
別名鈴江城
所在地徳島県徳島市川内町沖ノ島
城の歴史大永元年、将軍足利義稙に従って淡路に渡り、ついで同3年鳴門の撫養に入ったが、ここで義稙が死去、同5年細川持隆に仕えて、この沖島に在城することになった。その後永禄5年(1562)の和泉久米田合戦で戦死。
築城年代大永5年(1525)
築城主鈴江修善守道広
城の現状川内榎瀬江湖川左岸の川内郵便局の前に鈴江氏の墓所があり、現在も手厚く祀られている。城跡推定地は道路と家が密集している、南に300m位の処に善集寺、荒神社がある。
城主鈴江道広の墓城主鈴江道広の墓荒神社と左が修善寺修善寺の由来石板

徳島市 北原城(きたはらじょう)

城の形態平城
所在地徳島県徳島市川内町北原
城の歴史城主北原右近義行は、家系は小笠原源氏。天正10年(1582)中富川の戦いで戦死。
築城年代不明
築城主北原右近義行
城の現状所在地については、はっきりしていないが『故城記』等によると徳島市の北東部、川内町北原の祇園社付近と推定されるが、田宮町北原あたりかも知れない。
八坂神社北原町城跡付近

徳島市 鈴江城(すずえじょう)

城の形態平城
所在地徳島県徳島市川内町鈴江北
城の歴史鈴江新兵衛友則は天正10年(1582)中富川の合戦で戦死、徳島市下助任町に別館があったようである。
築城年代不明
築城主鈴江新兵衛友則
城の現状川内町の神明神社の背面(北側)にあった。家系は大江氏。付近の地名に西屋敷・城の門・城屋敷等がある。
神明神社神明神社背面(北側)神明神社遠景

徳島市 久木城(くきじょう)

城の形態平城
所在地徳島県徳島市川内町久木
規模70m×70m
城の歴史詳しくは不明
築城年代不明
築城主不明
城の現状県道29号線久木信号から西へ約300m位、徳島道に沿ってであるが現在完全に宅地化している。
このあたりか?

徳島市 片志城(かたせじょう)

城の形態平山城
所在地徳島県徳島市勝占町片志
規模50m×50m
城の歴史『故城記』には勝占町西須賀にあったと記されている。城跡の詳細は不明だが神路山上の杉尾大明神(現在の勝占神社)の山上付近にあったと推定されている。
築城年代永禄年間(1558〜70)
築城主高田左馬頭綱清
城の現状教育委員会の話では山上には神社の他に郭跡や遺構らしきものは無いとの事で登るのは断念。
勝占神社片志城跡遠景(南から)

徳島市 福島城(ふくしまじょう)

城の形態平城
所在地徳島県徳島市福島2丁目
規模100m×100m
城の歴史戦国時代に福島左近が居ったと古戦場記に書いてあるそう。藩政期には城下町として埋没した。
築城年代戦国期
築城主福島左近
城の現状城跡があった場所は藩政期、藩の城下町として栄えた場所で、現在は福島2丁目の四所神社や前の広い県道、さらにその西の本福寺や宅地となっている。
四所神社本福寺西から本福寺、奥が四所神社

徳島市 助任城(すけとうじょう)

城の形態平城
所在地徳島県徳島市下助任町
歴史城主助任某の名前ははっきりしないが、家系は藤原氏で、国府矢野城主矢野駿河守の一族。
築城年代不明
築城主助任某
城の現状城跡の確認は現在は不可能だが、推定では下助任2丁目の弘誓(ぐぜい)寺付近だそう。弘誓寺は蜂須賀家興源寺墓所の隣(西側)になります。
弘誓寺弘誓寺裏(北側)寺裏には祠があるということですが、見当たらず。

徳島市 渭山(猪山)城(いのやまじょう)

城の形態山城
別名渭城・渭津城
所在地徳島県徳島市
歴史最初は猪山城と呼ばれていたが江戸時代に渭山城と呼ばれるようになった。「渭山」の由来は城山が猪が臥した形に似ているからと言われている。
築城年代至徳2年(1385)
築城主細川掃部頭真之
森飛騨守(切幡城主)、吉田孫左衛門(長宗我部元親家臣)
城の現状中世の渭山(猪山)城は徳島城となり遺構は確認できない

徳島市 寺島城(てらしまじょう)

城の形態平城
所在地徳島県徳島市寺島本町西3丁目
規模不明
城の歴史福良佐渡守吉武は山分城主福良出羽守長政の一族。
築城年代永禄年間(1558〜70)
築城主福良佐渡守吉武
城の現状現在の郷土文化会館前付近だったそうです。
あわぎんホール前の城跡予想写真(Google航空写真より)

徳島市 財田城(さいたじょう)

城の形態平城
別名斎田城
所在地徳島県徳島市昭和町7丁目
城の歴史この城は斎田城とも書き、塩釜神社の隣地にあった。『阿波誌』によると財田塁 財田浦にあり、祠あり之を祀る、塩釜神社を摂すと「日本城郭大系」には書いてあるそう。
築城年代戦国期
築城主斎田右馬之亮利之
城の現状祠があると書いてあるが探したが見当たらず。廻りはマンションや住宅で遺構らしきものは皆無。
昭和町7丁目の塩釜神社

徳島市 津田城(つだじょう)

城の形態平山城
所在地徳島県徳島市津田西町
城の歴史家系は日奉氏、三好義賢のため兵器を堺で買って、帰途、淡路沖で海賊に遭い戦死したといわれている。
築城年代戦国期
築城主桑村隼人亮
城の現状八幡神社南脇の細い道を上がっていくと病院の駐車場あり、そこからが登城口。比較的はっきり分る曲輪跡や石垣が残っており、津田港に面した尾根先端の川口番所があった削平地もある。山頂の本丸跡は山土の採取で相当削られているよう。
津田山東側麓の八幡神社登城は比較的登り易い途中広い曲輪跡?が曲輪跡?
石垣があちこちに41mの山頂本丸跡半円状の帯曲輪跡北からの津田山遠景

徳島市 今切城(いまぎれじょう)

城の形態平城
所在地徳島県徳島市春日2丁目
規模109m×109m
城の歴史篠原長秀は鳴門木津城主篠原自遁の先妻の子。天正4年、勝瑞城の細川真之と那賀郡丹生谷で三好長治と戦ったが、一宮成助らに背後から攻められ敗れた。腹心の篠原長秀の勧めで居城今切城に退いたが、翌5年に真之の二千の兵に包囲され落城した。
築城年代永禄年間(1558〜70)
築城主篠原玄蕃頭長秀
城の現状城北高校北(裏)の篠原神社の社地と真観寺がその城跡、社地に祠があるが関係あるかどうかは不明。
本丸があった篠原神社篠原神社境内祠、今切城の関係か?神社から見た真観寺

徳島市 蔵本城(くらもとじょう)

城の形態平城
別名倉本塁
所在地徳島県徳島市蔵本元町2丁目
規模不明
城の歴史重信は天文22年(1553)3月名東郡東黒田(現国府町)の槍場の合戦で主君細川持隆を殺した逆臣三好義賢を討つため、芝原城主久米義広、英城主仁木高将、佐野塚城主佐野平明らと義賢の軍と戦ったが、義広と共に討死を遂げた。
築城年代不明
築城主小倉美濃守重信
城の現状JR蔵本駅北西に城郭跡の祠があり、近くの地福寺は小倉重信の戦死後、菩提寺として建立された。
蔵本城跡小倉重信ゆかりの
八坂神社
説明板小倉重信の菩提寺「地福寺」

徳島市 佐古城(さこじょう)

城の形態平山城
別名旭城
所在地徳島県徳島市南佐古3番町
城の歴史『阿波誌』によると「平山季重の後、佐古村に居る」。37歳で長宗我部軍と戦って上杉飛騨守を破ったが、翌年戦死した。
築城年代不明
築城主田村大和守吉利
城の現状「日本城郭大系」では南佐古諏訪神社の上、諏訪山の一本杉の処と書かれているが分からず。
諏訪神社諏訪神社境内諏訪神社の由来、佐古城とは関係なく、徳島城でした。佐古城はこの上あたりか?

徳島市 島田城(しまだじょう)

城の形態平城
所在地徳島県徳島市南島田1丁目
規模220m×220m
城の歴史城主島田左近次正は、名を次政とも書き、家系は小笠原源氏。
築城年代戦国期
築城主島田左近次正
城の現状南島田1丁目の両八幡神社の東側一体が城跡、今は住宅やマンションが立ち並び遺構はなし。
両八幡神社

徳島市 南新居城(みなみにいじょう)

城の形態平城
所在地徳島県徳島市不動西町
城の歴史板野、板西城十二人衆の一人で天正10年(1582)8月、中富川の合戦で戦死。家系は藤原氏。
築城年代戦国期
築城主堀江藤太夫国正
城の現状城跡推定地は不動橋北詰の精肉店の裏の八幡神社西方部。八幡神社北200m位の処に五輪塔や宝篋印搭、無縫搭がゴロゴロ、相当古い墓石です。
八幡宮鳥居八幡神社神社から北へ100m位の処に古い墓地五輪塔や無縫塔がゴロゴロと

徳島市 轟城(とどろきじょう)

城の形態平城
所在地徳島県徳島市応神町轟
規模100m×50m
城の歴史石井町の轟城主、近藤勘右衛門正次の流れを汲むもので、そのためこの地を轟と呼ぶようになった。近藤内蔵助は中富川の合戦で戦死。
築城年代不明
築城主近藤内蔵助
城の現状四国トーセロ徳島工場南の今切川南岸が城跡らしい。城跡の北西200mの水路脇に戦死した長宗我部の兵を祀った板碑や五輪塔があるとの事だが探したが見当たらず、四国トーセロの敷地内かも。
城跡地はっきりせずこのあたり今切川対岸から

徳島市 山分城(やまわきじょう)

城の形態平山城
別名俊平城(としひら)・飯谷城・長柱(なごしろ)城
所在地徳島県徳島市飯谷町
城の歴史山分城主の福良氏は本拠の山分城をはじめ、森城・星谷城・棚野城を支城とする勝浦川流域に勢力があった有力武将。天正四年(1576)、勝瑞を脱出した阿波守護細川真之は先ずこの飯谷の福良出羽守のもとに身を寄せた。福良氏は真之を仁宇谷に送り、大栗右近・服部因幡守・森監物らに警護にあたらせたとする。
築城年代戦国期
築城主福良出羽守長政
城の現状未登城

徳島市 矢三城(やそじょう)

城の形態平山城
別名野三城
所在地徳島県徳島市南矢三町
城の歴史矢三の地名は、古くは野三と呼ばれていた。『城跡記』には「矢三城 文治年中落城」とある。最初の築城者は麻植郡の地頭職野三刑部丞成綱で、元亀・天正年間(1570〜92)は源富平が城主。
築城年代文治年間(1185〜90)
築城主野三刑部丞成綱
主な城主源富平(元亀・天正年間)
城の現状県立科学技術高校西の道路を北へ入った突き当たりに宮ノ東八幡神社があり、ここから東西90m、南北110mの区画が城跡と推測されるとの事。
八幡神社神社だが墓らしき?

徳島市 段ノ城(だんのじょう)

所在地徳島県徳島市川内町榎瀬
築城主多田正歳
城の歴史『川内町史』では地福寺周辺が槍場の合戦で戦死した武将多田正歳の居城であったかも知れないとの記述や、地福寺裏に中世の五輪塔がある。
城跡とされる地福寺城主の五輪塔墓の残欠
水輪部分のみ
塩竃神社

徳島市 古川館(ふるかわかん)

城の形態平館
所在地徳島県徳島市応神町
城の歴史館跡は応神町古川のあったといわれているが、詳細は不明、家系は大江氏。

徳島市 忠津館(ただつやかた)

所在地徳島県徳島市田宮町北原
城の歴史
築城年代戦国期
築城主忠津修理亮則清

徳島市 弘垣館(ひろがきかん)

所在地徳島県徳島市田宮町
城の歴史家系は大江氏、詳細は不明。
築城年代戦国期
築城主弘垣盛綱
城の現状未登城

徳島市 田村館(たむらかん)

所在地徳島県徳島市不動西町
城の歴史
築城主田村半右衛門
城の現状未登城

徳島市 横田館(よこたかん)

所在地徳島県徳島市矢三町
城の歴史詳細は不明、家系は千葉平氏。
築城主横田正宗
城の現状未登城

徳島市 ケンジキ(けんじき)

所在地徳島県徳島市一宮町和山西山
城の歴史一宮城の出城。

徳島市 片山の塁(かたやまのるい)

所在地徳島県徳島市一宮町片山
城の歴史一宮城の出城。

参考文献「日本城郭大系」第15巻、香川・徳島・高知編、徳島県教育委員会「徳島県の中世城館」

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