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Ido_ji 2016.11.4参拝
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◆国府町は古代阿波の文化の中心であった。行政機関であった国府を囲んで国分寺、国分尼寺等の広大な寺院や総社があり、信仰の中心であった。井戸寺はその名が示すように、弘法大師がここに逗留中、村にはにごり水しか湧かないのを哀れんで、錫杖で土を突くと綺麗な水がこんこんと湧き出たという。この井戸を”面影の井戸”と称して大師を祀り、寺の名もそれまでは妙照寺といわれていたのを井戸寺と改めた。参拝者はこの井戸に自分の姿を写してみて自分の姿が写ればよし、写らなかったら3年以内に凶事があるといわれている。またこのお大師さんは、日を限って願い事をすれば必ず叶えられるといわれているところからお堂には”日限大師”という看板が上がっている。本尊は、薬師瑠璃光如来を主尊とする七仏の薬師如来坐像で、聖徳太子の作と伝えられ、また、脇仏の日光・月光菩薩像は行基菩薩の彫造と伝えられる。のち弘仁6年(815)に弘法大師がこれらの尊像を拝むために訪れたとき、檜に像高約1.9メートルの十一面観音像を彫って安置されている。この像は、右手に錫杖、左手に蓮華を挿した水瓶をもった姿形で、現在、国の重要文化財に指定されている。七仏薬師如来は全国でも珍しく、七難即滅、七福即生などの開運に信仰が多い。仁王門は阿波10代藩主・蜂須賀重喜公が大谷別邸から移築し寄進した大型の武家造りの門。
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蜂須賀氏の大谷別邸 より移築された仁王門 | 境内より見る仁王門 | 密迹金剛 | 那羅延金剛 | 仁王門裏の 大きなわらじ |
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手水場 | 本堂 | 太子堂 | 井戸寺由来 | 修行大師様 |
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日限大師 | 日限大師由来 | 堂内の井戸 | 大悲殿 | 鐘楼 |
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納経所 | 弁財天 | 日本遺産「四国遍路」 |
Onzan_ji 2016.12.8参拝
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◆小松島市の西、田野町の小高い山の中腹に恩山寺がある。寺伝によると聖武天皇の勅願により行基菩薩が厄除けのために薬師如来の坐像を刻み本尊として、大日山福生院密厳寺と号し、女人禁制の寺であった。今でも十九番立江寺へ下る花折り坂というだらだら坂があるが、これは途中にお地蔵さんがあり、村人が花を折ってしまったところからこの名がついたといわれている。寺の創建後百年余りを経て弘法大師がここで修行中、母の玉依御前がわが子大師を尋ねてきたが、寺は女人禁制のため登ることが出来なかったので、大師は仁王門近くで十七日間の秘法を修して女人禁制の戒を解き、母を迎えた。やがて母はここで剃髪、その髪を埋めたのが剃髪所の小堂といわれている。大師は寺号を母養山恩山寺と改めた。一帯は自然公園で桜は有名である。麓の仁王門を潜った先に大師お手植えの唐木、びらん樹があり、県の天然記念物だが、別名バクチの木ともいわれ年一回樹皮が変わることから、バクチをする者は裸になるという警鐘。
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麓にある山門 | 恩山寺標柱と県天然記念物びらん樹解説 | びらん樹 | 母養橋 | 車道の上の 細い道が旧へんろ道 |
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本堂への石段 | 本堂 | 大師堂 | 大師堂脇の 大師母堂剃髪所 | 修行大師御尊像 |
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手水舎 | 鐘楼 | 子安地蔵 | 地蔵堂 | 地蔵堂内の十大弟子 |
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摺袈裟の由来 | 弘法大師御母公 玉依御前ゆかりのお寺 | 納経所 | 日本遺産「四国遍路」 | |
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近くの義経上陸地点「勢合」 | 義経上陸の碑 | 史跡「旗山」 | 義経騎馬像 騎馬像では日本最大 |
Tatsue_dera 2016.12.8参拝
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◆高野山真言宗の別格本山。「四国の総関所」として四国八十八ヶ所の根本道場といわれ、また「阿波の関所」としても知られる。関所というのは、罪人や邪心を持った人が、お咎めを受けるという処。石見(島根)の国、浜田の城下に桜井屋銀兵衛という者がおり、その娘お京は大阪で芸妓をしていたが、要助という男とねんごろになり、郷里に帰って夫婦になった。暫くは平穏な日が続いたが、やがてお京は鍛冶屋長蔵と密通、やがて夫に感づかれた。お京は長蔵をそそのかして夫を殺害して丸亀に逃げる。追手から逃れるためか、罪滅ぼしか、二人は遍路となって札所巡りを始め、立江寺にやって来た。お京が本堂の前にぬかずくやいなやお京の黒髪は逆立ちとなり、鐘の緒に巻きついた。長蔵は住職に助けを求め、お京は住職に罪の全てを懺悔した。すると黒髪もろとも肉がはがれ、一命だけは辛くも助かる。二人は寺の近くに庵を建て仏道に精進した。当寺の縁起は聖武天皇の勅願所として天平年間に行基菩薩が開創し、光明皇后の安産を祈るため、念持仏として5.5センチほどの小さな黄金の「子安の地蔵さん」を彫造した。これを「延命地蔵菩薩」と名づけて本尊にし、堂塔を建立したと伝えられる。
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仁王門 | 密迹金剛 | 那羅延金剛 | 十九番立江寺標柱 | 本堂 |
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大師堂 | 手水舎 | 鐘楼 | 護摩堂 | 修行大師様 |
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立江寺縁起 | 黒髪堂 | 白杉大明神 | 庚申堂・神変堂 | 納経所 |
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多宝塔 | 多宝塔 | 日本遺産 「四国遍路、立江寺」 | 南側仁王門全景 | 白鷺橋 |
Kakurin_ji 2016.12.8参拝
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◆鶴林寺は”お鶴さん”などと呼ばれ、昔は登り口の生名から海抜550mの山頂まで、狭いゴロゴロ道の急坂を喘いで登って男で1時間かかったが、今は山門まで通じるドライブウエーが出来ており、生名から車なら10分で着く、道は左右に那賀川、勝浦川が眼下に望め、遠くは紀州や淡路、太平洋を眺望できる風光明媚な霊山である。山門は仁王様かと思いきや、寺院を守護するのは雄雌の鶴である。山門を潜ると樹齢千年を超すような老杉、檜や松の巨木が参道を覆っている。右手に六角堂、さらに忠霊堂、修行大師像があり、その先の石段五十七段を登ると本堂である。本堂の前にはやはり雌雄の鶴が向かい合っている。寺伝によると延暦17年、桓武天皇の勅願により、弘法大師によって開創された。大師がこの山で修行していたとき、雌雄2羽の白鶴がかわるがわる翼をひろげて老杉のこずえに舞い降り、小さな黄金のお地蔵さんを守護していた。この情景を見て歓喜した大師は、近くにあった霊木で高さ90センチほどの地蔵菩薩像を彫造、その胎内に5.5センチぐらいの黄金の地蔵さんを納めて本尊とし、寺名を鶴林寺にしたといわれる。寺は平城、嵯峨、淳和天皇の等の皇室の尊信あつく、源頼朝、三好長治、蜂須賀家政等の武将も寺を保護した。
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山門 | 鶴(雄?) | 鶴(雌?) | 二十番鶴林寺石板 | 二十番札所鶴林寺標柱 |
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六角堂 | 樹齢千年を越える 老杉が林立してます | 見事な苔です | 本堂への 五十七段の石段 | 本堂 |
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本堂前の鶴(雄か?) | 本堂前の鶴(雌か?) | 御本尊降臨の杉 | 「修行大師青銅尊像」 ヲ奉安と書いてます | 大師堂 |
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手水舎 | 納経所 | 忠霊殿 | 三重塔 | 修行大師様 |
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水子地蔵と子安地蔵 | 三重塔と丁石の解説 | 丁石 | 太龍寺ロープウェイ から見る鶴林寺三重塔 |
Tairyu_ji 2016.12.24参拝
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◆西日本一といわれる全長2700m強、高低差422mのロープウエイを降りると、そこは樹齢数百年の老杉が林立し境内には古刹の霊気が漂う、いわゆるパワースポット的な名刹である。「西の高野山」と言われる所以であろうか。弘法大師が15歳の頃修行され、さらに19歳の時再び登り、この深奥の境内から南西約600メートルの「舎心嶽」という岩上で、100日間の虚空蔵求聞持法を修行された。虚空蔵求聞持法は、真言を百万遍となえる最も難行とされる修法である。その後延暦17年、桓武天皇の勅命で伽藍を創建、太師は三度登山して諸仏諸尊を彫刻され、伽藍に安置した。山号は修行地の舎心嶽から、また寺名は修行中の大師を守護した大龍(龍神)にちなんでいる。皇室や武家の尊信が厚く、平安時代の後期には子院12ヶ寺をもつほどに栄えていた。だが、「天正(1573?92)の兵火」からは逃れられなかった。また、江戸時代になっても幾たびか罹災し、荒廃の途を余儀なくされているが、その都度ときの藩主の保護をうけ再建されている。仁王門は鎌倉時代の建立で、他の堂塔は江戸時代以降に復興している。
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太龍寺ロープウェイ 麓の駅 | 那賀川 | 山犬ヶ嶽の日本狼 | 舎心ヶ嶽の大師修行像 | 山頂駅 |
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山頂駅降りて 直ぐの石段 | 舎心ヶ嶽方向案内 | 手水舎 | 本堂への石段 | 城跡を思わせる石垣 |
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本堂 | 本堂裏の弘法大志廟 | 大師堂への参道 | 多宝塔 | 弁財天堂 |
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修行大師様 | 大師堂へ | 大師堂 | 中興堂 | いのちのいずみ |
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中興堂 | 求聞持堂 | 多宝塔への石段 | 守護の大杉 | 鐘楼門 |
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仁王門 | 絵天井 | 納経所 | 太龍寺案内 |
Byoudou_ji 2016.12.24参拝
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◆ここは阿南市新野町の町通り。山を背にしているが町寺の柔らかい雰囲気である。寺の寺号は白水山平等寺。白水山という山号からこの白水の井戸が寺の主役である。大師がこの辺りを巡錫の時、空中に五色の雲がたなびき、薬師如来を感得され、そこで尊像を刻み、堂宇を建てて安置、その時大師が錫杖で大地を掘ると、乳白色の霊水が湧き出した。大師はその霊水で沐浴、百日間の修行を重ねた。そして湧出した白い水に因んで白水山とし、誰にも平等に御利益をたまわるようにというところから平等寺となずけたという。以後、寺は大規模に栄えましたが天正年間に長宗我部の兵火によって焼失し、江戸時代中期に再興されて現在に至っています。大師が杖で掘られた霊水は男坂の左下にあり、どんな日照りにも枯れることなくこんこんと湧き出ております。現在は無色透明で、万病にきく「弘法の霊水」として全国に知られています。
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仁王門 | 密迹金剛 | 那羅延金剛 | 手水舎 | 本堂への男厄坂 |
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本堂 | 大師堂 | 修行大師 | 水子地蔵尊 | 水かけ不動 |
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弘法の霊水 | 鐘楼 | 女厄坂 | 厄除け橋 | 境内から本堂 |
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本堂から境内を | 納経所 |
Yakuou_ji 2016.12.24参拝
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◆この薬王寺を打てば、発心の道場といわれる阿波一国二十三ヶ寺を打ち終え、一国巡りなら結願となる。寺伝によれば、当寺は弘仁六年、弘法大師四十二歳の時、諸人厄除けのためと一刀三礼して刻まれた厄除け薬師如来を本堂に安置した。大師は、この厄除け本尊の功徳を平城天皇、嵯峨天皇、淳和天皇の3代に相次いで奏上したところ、各天皇は厚く帰依し、厄除けの勅使を下して官寺とされている。文治四年の火災で堂宇は焼けてしまったが、その時本尊は光を放って西方の奥の院・玉厨子山へ飛び去ってしまった。後に後鳥羽天皇の勅願で伽藍を再建し新しい薬師如来を開眼供養すると、玉厨子山へ避難していた本尊が帰って後ろ向きに本堂へ入られた。それ以来、寺の本尊は二体あり、特にここの如来が「後向薬師」と言われている。参拝者は本堂の前と後ろ両方に回ってお参りすることになっている。全国の厄除け根本道場祈願所となっている。境内には吉川英治著『鳴門秘帖』、司馬遼太郎著『空海の風景』に登場した石碑がある。
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仁王門 | 密迹金剛 | 那羅延金剛 | 厄除祈願所案内 | 山門前の手水場 |
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山門からの参道 | 参道脇の吉川英治「鳴門秘帖」舞台の寺の碑 | 「鳴門秘帖」句碑 | 司馬遼太郎「空海の嵐」碑 | 「空海の嵐」句碑 |
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男厄坂 | 男厄坂(42段) | 女厄坂(33段) | 手水舎 | 本堂 |
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太子堂 | 地蔵堂 | 霊牌堂 | 手水舎 | 大香炉 |
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瑜祇塔 | 瑜祇塔 | 随求の鐘 | 六観音 | 十王堂 |
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肺大師 | 鎮守堂 | 随求塔 | 大楠 | |
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納経所 | 医王殿 | 日本遺産「四国遍路」薬王寺 |
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参考文献:徳島新聞社刊「四国霊場の旅」