▲TOPへ戻る

ベイシー写真館

■四国88ヶ所霊場

■板東俘虜収容所

■メインメニュー

■徳島県の他の古城跡

阿波の霊場(発心の道場)其の参 17番〜23番

十七番札所「井戸寺」 Ido_ji   2016.11.4参拝

十七番札所「井戸寺」

寺名称瑠璃山 真福院 井戸寺(るりざん しんぷくいん いどじ)
住所徳島県徳島市国府町井戸北屋敷80-1
開基・創建天武天皇・白鳳2年(673)
宗派真言宗 善通寺派
御本尊七仏薬師如来
本尊真言おん ころころ せんだり まとうぎ そわか
ご詠歌面影をうつしてみれば井戸の水 結べば胸のあかやおちなん
御朱印

◆国府町は古代阿波の文化の中心であった。行政機関であった国府を囲んで国分寺、国分尼寺等の広大な寺院や総社があり、信仰の中心であった。井戸寺はその名が示すように、弘法大師がここに逗留中、村にはにごり水しか湧かないのを哀れんで、錫杖で土を突くと綺麗な水がこんこんと湧き出たという。この井戸を”面影の井戸”と称して大師を祀り、寺の名もそれまでは妙照寺といわれていたのを井戸寺と改めた。参拝者はこの井戸に自分の姿を写してみて自分の姿が写ればよし、写らなかったら3年以内に凶事があるといわれている。またこのお大師さんは、日を限って願い事をすれば必ず叶えられるといわれているところからお堂には”日限大師”という看板が上がっている。本尊は、薬師瑠璃光如来を主尊とする七仏の薬師如来坐像で、聖徳太子の作と伝えられ、また、脇仏の日光・月光菩薩像は行基菩薩の彫造と伝えられる。のち弘仁6年(815)に弘法大師がこれらの尊像を拝むために訪れたとき、檜に像高約1.9メートルの十一面観音像を彫って安置されている。この像は、右手に錫杖、左手に蓮華を挿した水瓶をもった姿形で、現在、国の重要文化財に指定されている。七仏薬師如来は全国でも珍しく、七難即滅、七福即生などの開運に信仰が多い。仁王門は阿波10代藩主・蜂須賀重喜公が大谷別邸から移築し寄進した大型の武家造りの門。

十七番井戸寺 十七番井戸寺 十七番井戸寺 十七番井戸寺 十七番札井戸寺
蜂須賀氏の大谷別邸
より移築された仁王門
境内より見る仁王門密迹金剛那羅延金剛仁王門裏の
大きなわらじ
十七番井戸寺 十七番井戸寺 十七番井戸寺 十七番井戸寺 十七番井戸寺
手水場本堂太子堂井戸寺由来修行大師様
十七番井戸寺 十七番井戸寺 十七番井戸寺 十七番井戸寺 十七番井戸寺
日限大師日限大師由来堂内の井戸大悲殿鐘楼
十七番井戸寺 十七番井戸寺 十七番井戸寺
納経所弁財天日本遺産「四国遍路」

十八番札所恩山寺 Onzan_ji   2016.12.8参拝

十八番札所恩山寺

寺名称母養山 宝樹院 恩山寺(ぼようざん ほうじゅいん おんざんじ)
住所徳島県小松島市田野町字恩山寺谷40
開基・創建行基菩薩・天平年間(729〜749)
宗派高野山 真言宗
御本尊薬師如来
本尊真言おん ころころ せんだり まとうぎ そわか
ご詠歌子を生めるその父母の恩山寺 訪らいがたきことはあらじな
御朱印

◆小松島市の西、田野町の小高い山の中腹に恩山寺がある。寺伝によると聖武天皇の勅願により行基菩薩が厄除けのために薬師如来の坐像を刻み本尊として、大日山福生院密厳寺と号し、女人禁制の寺であった。今でも十九番立江寺へ下る花折り坂というだらだら坂があるが、これは途中にお地蔵さんがあり、村人が花を折ってしまったところからこの名がついたといわれている。寺の創建後百年余りを経て弘法大師がここで修行中、母の玉依御前がわが子大師を尋ねてきたが、寺は女人禁制のため登ることが出来なかったので、大師は仁王門近くで十七日間の秘法を修して女人禁制の戒を解き、母を迎えた。やがて母はここで剃髪、その髪を埋めたのが剃髪所の小堂といわれている。大師は寺号を母養山恩山寺と改めた。一帯は自然公園で桜は有名である。麓の仁王門を潜った先に大師お手植えの唐木、びらん樹があり、県の天然記念物だが、別名バクチの木ともいわれ年一回樹皮が変わることから、バクチをする者は裸になるという警鐘。

十八番恩山寺 十八番恩山寺 十八番恩山寺 十八番恩山寺 十八番恩山寺
麓にある山門恩山寺標柱と県天然記念物びらん樹解説びらん樹母養橋車道の上の
細い道が旧へんろ道
十八番恩山寺 十八番恩山寺 十八番恩山寺 十八番恩山寺 十八番恩山寺
本堂への石段本堂大師堂大師堂脇の
大師母堂剃髪所
修行大師御尊像
十八番恩山寺 十八番恩山寺 十八番恩山寺 十八番恩山寺 十八番恩山寺
手水舎鐘楼子安地蔵地蔵堂地蔵堂内の十大弟子
十八番恩山寺 十八番恩山寺 十八番恩山寺 十八番恩山寺
摺袈裟の由来弘法大師御母公
玉依御前ゆかりのお寺
納経所日本遺産「四国遍路」
近くの義経上陸地点「勢合」義経上陸の碑史跡「旗山」義経騎馬像
騎馬像では日本最大

十九番札所立江寺 Tatsue_dera   2016.12.8参拝

十九番札所立江寺

寺名称橋池山 魔尼院 立江寺(きょうちざん まにいん たつえじ)
住所徳島県小松島市立江町若松13
開基・創建行基菩薩・天平19年(747)
宗派高野山 真言宗<
御本尊延命地蔵菩薩
本尊真言おん かかかび さんまえい そわか
ご詠歌いつかさて西のすまいのわが立江 弘誓の舟に乗りていたらむ
御朱印

◆高野山真言宗の別格本山。「四国の総関所」として四国八十八ヶ所の根本道場といわれ、また「阿波の関所」としても知られる。関所というのは、罪人や邪心を持った人が、お咎めを受けるという処。石見(島根)の国、浜田の城下に桜井屋銀兵衛という者がおり、その娘お京は大阪で芸妓をしていたが、要助という男とねんごろになり、郷里に帰って夫婦になった。暫くは平穏な日が続いたが、やがてお京は鍛冶屋長蔵と密通、やがて夫に感づかれた。お京は長蔵をそそのかして夫を殺害して丸亀に逃げる。追手から逃れるためか、罪滅ぼしか、二人は遍路となって札所巡りを始め、立江寺にやって来た。お京が本堂の前にぬかずくやいなやお京の黒髪は逆立ちとなり、鐘の緒に巻きついた。長蔵は住職に助けを求め、お京は住職に罪の全てを懺悔した。すると黒髪もろとも肉がはがれ、一命だけは辛くも助かる。二人は寺の近くに庵を建て仏道に精進した。当寺の縁起は聖武天皇の勅願所として天平年間に行基菩薩が開創し、光明皇后の安産を祈るため、念持仏として5.5センチほどの小さな黄金の「子安の地蔵さん」を彫造した。これを「延命地蔵菩薩」と名づけて本尊にし、堂塔を建立したと伝えられる。

十九番立江寺 十九番立江寺 十九番立江寺 十九番立江寺 十九番立江寺
仁王門密迹金剛那羅延金剛十九番立江寺標柱本堂
十九番立江寺 十九番立江寺 十九番立江寺 十九番立江寺 十九番立江寺
大師堂手水舎鐘楼護摩堂修行大師様
十九番立江寺 十九番立江寺 十九番立江寺 十九番立江寺 十九番立江寺
立江寺縁起黒髪堂白杉大明神庚申堂・神変堂納経所
十九番立江寺 十九番立江寺 十九番立江寺 十九番立江寺 十九番立江寺
多宝塔多宝塔日本遺産
「四国遍路、立江寺」
南側仁王門全景白鷺橋

二十番札所鶴林寺 Kakurin_ji    2016.12.8参拝

二十番札所鶴林寺

寺名称霊鷲山 宝珠院 鶴林寺(りゅうじゅざん ほうじゅいん かくりんじ)
住所徳島県勝浦郡勝浦町生名鷲ヶ尾14
開基・創建弘法大師・延暦17年(798)
宗派高野山真言宗
御本尊地蔵菩薩(伝弘法大師作)
本尊真言おん かかかび えい そわか
ご詠歌しげりつる鶴の林をしるべにて 大師ぞいます地蔵帝釈
御朱印

◆鶴林寺は”お鶴さん”などと呼ばれ、昔は登り口の生名から海抜550mの山頂まで、狭いゴロゴロ道の急坂を喘いで登って男で1時間かかったが、今は山門まで通じるドライブウエーが出来ており、生名から車なら10分で着く、道は左右に那賀川、勝浦川が眼下に望め、遠くは紀州や淡路、太平洋を眺望できる風光明媚な霊山である。山門は仁王様かと思いきや、寺院を守護するのは雄雌の鶴である。山門を潜ると樹齢千年を超すような老杉、檜や松の巨木が参道を覆っている。右手に六角堂、さらに忠霊堂、修行大師像があり、その先の石段五十七段を登ると本堂である。本堂の前にはやはり雌雄の鶴が向かい合っている。寺伝によると延暦17年、桓武天皇の勅願により、弘法大師によって開創された。大師がこの山で修行していたとき、雌雄2羽の白鶴がかわるがわる翼をひろげて老杉のこずえに舞い降り、小さな黄金のお地蔵さんを守護していた。この情景を見て歓喜した大師は、近くにあった霊木で高さ90センチほどの地蔵菩薩像を彫造、その胎内に5.5センチぐらいの黄金の地蔵さんを納めて本尊とし、寺名を鶴林寺にしたといわれる。寺は平城、嵯峨、淳和天皇の等の皇室の尊信あつく、源頼朝、三好長治、蜂須賀家政等の武将も寺を保護した。

二十番鶴林寺 二十番鶴林寺 二十番鶴林寺 二十番鶴林寺 二十番鶴林寺
山門鶴(雄?)鶴(雌?)二十番鶴林寺石板二十番札所鶴林寺標柱
二十番鶴林寺 二十番鶴林寺 二十番鶴林寺 二十番鶴林寺 二十番鶴林寺
六角堂樹齢千年を越える
老杉が林立してます
見事な苔です本堂への
五十七段の石段
本堂
二十番鶴林寺 二十番鶴林寺 二十番鶴林寺 二十番鶴林寺 二十番鶴林寺
本堂前の鶴(雄か?)本堂前の鶴(雌か?)御本尊降臨の杉「修行大師青銅尊像」
ヲ奉安と書いてます
大師堂
二十番鶴林寺 二十番鶴林寺 二十番鶴林寺 二十番鶴林寺 二十番鶴林寺
手水舎納経所忠霊殿三重塔修行大師様
二十番鶴林寺 二十番鶴林寺 二十番鶴林寺 二十番鶴林寺
水子地蔵と子安地蔵三重塔と丁石の解説丁石太龍寺ロープウェイ
から見る鶴林寺三重塔

二十一番札所太龍寺 Tairyu_ji    2016.12.24参拝

二十一番札所太龍寺

寺名称舎心山 常住院 太龍寺(しゃしんざん じょうしゅういん たいりゅうじ)
住所徳島県阿南市加茂町龍山2
開基・創建弘法大師・延暦12年(793)
宗派高野山真言宗
御本尊虚空蔵菩薩
本尊真言のうぼう あきゃしゃ きゃらばや おん ありきゃ まりぼり そわか
ご詠歌太龍の常にすむぞやげに岩屋 舎心聞持は守護のためなり
御朱印

◆西日本一といわれる全長2700m強、高低差422mのロープウエイを降りると、そこは樹齢数百年の老杉が林立し境内には古刹の霊気が漂う、いわゆるパワースポット的な名刹である。「西の高野山」と言われる所以であろうか。弘法大師が15歳の頃修行され、さらに19歳の時再び登り、この深奥の境内から南西約600メートルの「舎心嶽」という岩上で、100日間の虚空蔵求聞持法を修行された。虚空蔵求聞持法は、真言を百万遍となえる最も難行とされる修法である。その後延暦17年、桓武天皇の勅命で伽藍を創建、太師は三度登山して諸仏諸尊を彫刻され、伽藍に安置した。山号は修行地の舎心嶽から、また寺名は修行中の大師を守護した大龍(龍神)にちなんでいる。皇室や武家の尊信が厚く、平安時代の後期には子院12ヶ寺をもつほどに栄えていた。だが、「天正(1573?92)の兵火」からは逃れられなかった。また、江戸時代になっても幾たびか罹災し、荒廃の途を余儀なくされているが、その都度ときの藩主の保護をうけ再建されている。仁王門は鎌倉時代の建立で、他の堂塔は江戸時代以降に復興している。

二十一番太龍寺 二十一番太龍寺 二十一番太龍寺 二十一番太龍寺 二十一番太龍寺
太龍寺ロープウェイ
麓の駅
那賀川山犬ヶ嶽の日本狼舎心ヶ嶽の大師修行像山頂駅
二十一番太龍寺 二十一番太龍寺 二十一番太龍寺 二十一番太龍寺 二十一番太龍寺
山頂駅降りて
直ぐの石段
舎心ヶ嶽方向案内手水舎本堂への石段城跡を思わせる石垣
二十一番太龍寺 二十一番太龍寺 二十一番太龍寺 二十一番太龍寺 二十一番太龍寺
本堂本堂裏の弘法大志廟大師堂への参道多宝塔弁財天堂
二十一番太龍寺 二十一番太龍寺 二十一番太龍寺 二十一番太龍寺 二十一番太龍寺
修行大師様大師堂へ大師堂中興堂いのちのいずみ
二十一番太龍寺 二十一番太龍寺 二十一番太龍寺 二十一番太龍寺 二十一番太龍寺
中興堂求聞持堂多宝塔への石段守護の大杉鐘楼門
二十一番太龍寺 二十一番太龍寺 二十一番太龍寺 二十一番太龍寺 二十一番太龍寺
仁王門絵天井納経所太龍寺案内

二十二番札所平等寺 Byoudou_ji    2016.12.24参拝

二十二番札所平等寺

寺名称白水山 医王院 平等寺(はくすいざん いおういん びょうどうじ)
住所徳島県阿南市新野町秋山177
開基・創建弘法大師・弘仁5年(814)
宗派高野山真言宗
御本尊薬師如来
本尊真言おん ころころ せんだり まとうぎ そわか
ご詠歌平等にへだてのなきと聞く時は あら頼もしき仏とぞみる
御朱印

◆ここは阿南市新野町の町通り。山を背にしているが町寺の柔らかい雰囲気である。寺の寺号は白水山平等寺。白水山という山号からこの白水の井戸が寺の主役である。大師がこの辺りを巡錫の時、空中に五色の雲がたなびき、薬師如来を感得され、そこで尊像を刻み、堂宇を建てて安置、その時大師が錫杖で大地を掘ると、乳白色の霊水が湧き出した。大師はその霊水で沐浴、百日間の修行を重ねた。そして湧出した白い水に因んで白水山とし、誰にも平等に御利益をたまわるようにというところから平等寺となずけたという。以後、寺は大規模に栄えましたが天正年間に長宗我部の兵火によって焼失し、江戸時代中期に再興されて現在に至っています。大師が杖で掘られた霊水は男坂の左下にあり、どんな日照りにも枯れることなくこんこんと湧き出ております。現在は無色透明で、万病にきく「弘法の霊水」として全国に知られています。

二十二番平等寺 二十二番平等寺 二十二番平等寺 二十二番平等寺 二十二番平等寺
仁王門密迹金剛那羅延金剛手水舎本堂への男厄坂
二十二番平等寺 二十二番平等寺 二十二番平等寺 二十二番平等寺 二十二番平等寺
本堂大師堂修行大師水子地蔵尊水かけ不動
二十二番平等寺 二十二番平等寺 二十二番平等寺 二十二番平等寺 二十二番平等寺
弘法の霊水鐘楼女厄坂厄除け橋境内から本堂
二十二番平等寺 二十二番平等寺
本堂から境内を納経所

二十三番札所薬王寺 Yakuou_ji    2016.12.24参拝

二十三番札所薬王寺

寺名称医王山 無量寿院 薬王寺(いおうざん むりょうじゅいん やくおうじ)
住所徳島県海部郡美波町奥河内寺前285-1
開基・創建行基菩薩・神亀3年(726)
宗派高野山真言宗
御本尊厄除薬師如来(伝弘法大師作)
本尊真言おん かかかび えい そわか
ご詠歌皆人の病みぬる年の薬王寺 瑠璃の薬をあたえましませ
御朱印

◆この薬王寺を打てば、発心の道場といわれる阿波一国二十三ヶ寺を打ち終え、一国巡りなら結願となる。寺伝によれば、当寺は弘仁六年、弘法大師四十二歳の時、諸人厄除けのためと一刀三礼して刻まれた厄除け薬師如来を本堂に安置した。大師は、この厄除け本尊の功徳を平城天皇、嵯峨天皇、淳和天皇の3代に相次いで奏上したところ、各天皇は厚く帰依し、厄除けの勅使を下して官寺とされている。文治四年の火災で堂宇は焼けてしまったが、その時本尊は光を放って西方の奥の院・玉厨子山へ飛び去ってしまった。後に後鳥羽天皇の勅願で伽藍を再建し新しい薬師如来を開眼供養すると、玉厨子山へ避難していた本尊が帰って後ろ向きに本堂へ入られた。それ以来、寺の本尊は二体あり、特にここの如来が「後向薬師」と言われている。参拝者は本堂の前と後ろ両方に回ってお参りすることになっている。全国の厄除け根本道場祈願所となっている。境内には吉川英治著『鳴門秘帖』、司馬遼太郎著『空海の風景』に登場した石碑がある。

二十三番薬王寺 二十三番薬王寺 二十三番薬王寺 二十三番薬王寺 二十三番薬王寺
仁王門密迹金剛那羅延金剛厄除祈願所案内山門前の手水場
二十三番薬王寺 二十三番薬王寺 二十三番薬王寺 二十三番薬王寺 二十三番薬王寺
山門からの参道参道脇の吉川英治「鳴門秘帖」舞台の寺の碑「鳴門秘帖」句碑司馬遼太郎「空海の嵐」碑「空海の嵐」句碑
二十三番薬王寺 二十三番薬王寺 二十三番薬王寺 二十三番薬王寺 二十三番薬王寺
男厄坂男厄坂(42段)女厄坂(33段)手水舎本堂
二十三番薬王寺 二十三番薬王寺 二十三番薬王寺 二十三番薬王寺 二十三番薬王寺
太子堂地蔵堂霊牌堂手水舎大香炉
二十三番薬王寺 二十三番薬王寺 二十三番薬王寺 二十三番薬王寺 二十三番薬王寺
瑜祇塔瑜祇塔随求の鐘六観音十王堂
二十三番薬王寺 二十三番薬王寺 二十三番薬王寺 二十三番薬王寺 二十三番薬王寺
肺大師鎮守堂随求塔大楠
二十三番薬王寺 二十三番薬王寺 二十三番薬王寺
納経所医王殿日本遺産「四国遍路」薬王寺

Copyright © 2015 copyrights.basie.mobi All Rights Reserved.
参考文献:徳島新聞社刊「四国霊場の旅」