■四国88ヶ所霊場
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Kanjizai_ji 2018.6.25 参拝
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◆ 伊予は”菩提の道場”とされているが、その一番目が一番札所「霊山寺」から最も遠い所で「四国霊場の裏関所」と呼ばれる「観自在寺」である。当山の開創は行基菩薩。大同2年に弘法大師が平城天皇の勅令で、本尊の薬師如来、脇仏の阿弥陀如来、観世音菩薩と一本のクスノキから三体の像を刻み、残りの霊木で「南無阿弥陀仏」と6字の名号を彫り、舟形の宝判を造って庶民の病根を除く祈願をなされた。寺は日本四ヶ所の鎮守の一つに数えられて、往時は七堂伽藍が整い、四十八坊の末寺を有し、寺領二千五百石を給せられていた。だが、火災によりすべての堂塔を焼失、その後は宇和島藩主・伊達家の祈願所として旧観の回復につとめ、法灯を守っている。
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仁王門 | 密迹金剛 | 那羅延金剛 | 境内から仁王門を | 日本遺産「四国遍路」観自在寺 |
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境内 | 本堂 | 大志堂 | 手水舎 | 多宝塔 |
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十二支石仏 | 修行大師 | 観自在菩薩 | 篠山大権現 | 鐘楼 |
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宝珠殿 | ぽっくり地蔵 | 栄かえる | 納経所 |
Ryukou_ji 2018.6.25 参拝
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◆ 宇和島は伊達家十万石の城下町、その市街地から北東に10kmほどのところが三間平野。地元では「三間のお稲荷さん」と呼ばれ、親しまれているのが龍光寺で、往時の神仏習合の面影を色濃く伝えている霊場である。その象徴ともいえるのが、山門は鳥居であること。この山門をくぐると仁王像に代わる守護役・狛犬が迎えてくれる。境内には狐とお地蔵さんの石像が仲良く並んでおり、仏と神が同居している。寺伝によると、大同2年2月。弘法大師がこの地を訪れた時、白髪の老翁が大師の前に立ち「我この地に住して法位を守護し、諸民を利益せん」と言って姿を消した。大師は、この翁が五穀大明神の化身であろうと悟り、その明神を勧請して稲荷明神像を彫造、堂宇を建てて安置”稲荷山龍光寺”として四国霊場の総鎮守とされた。
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山門 | 県道からの参道 | 手水舎 | 鐘楼 | 日本遺産「四国遍路」龍光寺 |
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本堂 | 大志堂 | 七福神 | 水子地蔵尊 | 納経所 |
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稲荷神社 |
Butsumoku_ji 2015.6.25 参拝
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◆ 牛の背に乗った弘法大師の伝説が語り継がれる仏木寺には、境内に家畜堂という小さなお堂がある。ミニチュアの牛や馬の草鞋をはじめ、牛馬の陶磁器、扁額などがところ狭しと奉納されている。御本尊は大日如来、弘法大師が刻んだそう。大同2年この地を訪れていた大師は、牛をひいていた老翁に出会い、勧められるままにこの牛に乗った。すると近くの楠の枝に一つの宝珠がかかってるのを発見。この宝珠は大師が唐におられた時、有緑の地を選ばれるようにと、三鈷とともに東に向けて投げた仏祖伝来の宝珠であった。大師は、この地こそ霊地であると感得、堂宇の建立を決心した。大師は自ら楠で大日如来像を彫造、眉間に宝珠を埋めて白毫とした。これを本尊として安置し、「一山仏木寺」と名づけ、草字体で書写した『般若心経』と『華厳経』一巻を奉納されたと伝えられる。
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仁王門 | 密迹金剛 | 那羅延金剛 | 仁王門(裏から) | 手水舎 |
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本堂 | 大志堂 | 聖徳太子堂 | 不動堂 | 家畜堂 |
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珍しい茅葺の鐘楼堂 | 修行大師 | 釈迦如来 | 救世観音 | 家畜慰霊塔 |
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七福神尊像 | 水子地蔵尊 | 厄除・災難地蔵尊 | 道祖神尊 | 納経所 |
Meiseki_ji 2016.6.25 参拝
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◆ 当寺は欽明天皇の勅願によって円手院正澄法師行者が開創。のち役(えん)の小角(おずぬ)5世の孫、寿元尊者が紀州熊野から十二社権現を勧請して十二坊を建立し、修験道場として栄えた。弘仁十三年(822)に弘法大師が訪れた頃は荒廃していたが、大師が朝廷に奏請して堂宇を再建した。建久五年(1191)には源頼朝が帰依して再興。命の恩人の池禅尼菩提のため、阿弥陀仏を安置、この時山号を源光山と改めた。以来、武士の帰依があつく、室町時代には領主・西園寺家の祈願所として、また江戸時代には宇和島藩主・伊達家の祈願所となり、末寺は70余寺を数えたと伝えられる。明治以降近郷はもとより全国の信仰も厚く益々繁栄し堂宇の改築を行い現在の威容である。
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仁王門 | 仁王門への石段 | 仁王門 | 仁王門、境内から | 明石寺案内 |
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本堂 | 大志堂 | 手水舎 | しあわせ観音堂 | 鐘楼 |
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仏足跡 | 納経所 | 夫婦杉 |
Daihou_ji 2018.6.25 参拝
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◆ 四十三番明石寺からの道のりは約80km、峠越えの難所がつづき、歩けば20時間を超す「遍路ころがし」の霊場。四国霊場八十八ヶ所のちょうど半分に当たり、「中札所」といわれる。標高四90mの高原にあり、境内は老樹が林立し、古寺の幽寂な境内の空気が漂う。創建は大宝元年(701)、縁起は大和朝廷の時代、百済の僧が、携えてきた十一面観音像をこの山中に安置していた。飛鳥時代になって大宝元年のこと、安芸(広島)からきた明神右京、隼人という兄弟の狩人が、菅草のなかにあった十一面観音像を見つけ、草庵を結んでこの尊像を祀って小堂を建てた。それからおよそ120年後、弘法大師が霊場に定め、開創の年号をとって大宝寺とした。仁平2年(1152)、全山を焼失。だが、直後の保元年間(1156〜59)に後白河天皇が病気平癒を祈願して成就され、ここに伽藍を再建し、勅使を遣わして妹宮を住職に任じて勅願寺とした。このときに「菅生山」の勅額を賜り、七堂伽藍の僧堂を備え、盛時には山内に48坊を数えるほどであった。
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山門 | 石段 | 大宝寺石柱 | 石段 | 手水舎 |
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本堂 | 大志堂 | 鐘楼 | 掘出観音堂 | 修行大師 |
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十一面観世音菩薩 | 水子地蔵尊 | 納経所 | 庫裡 |
Iwaya_ji 2018.6.25 参拝
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◆ 標高700m。奇峰が天を突き、巨岩の中腹に埋め込まれるように堂宇がたたずむ典型的な山岳霊場である。神仙境をおもわせる境内は、むかしから修験者が修行の場としていたようで、さまざまな伝承が残されている。昔、土佐より移り住んだという不思議な神通力を持った女がいた。弘仁六年、弘法大師ががこの地を訪れた時この女は大師に帰依し、一山を献上して大往生をとげた。法華仙人と言われている。大師は木造と石造の不動明王像を刻み、木像は本尊として本堂に安置し、また、石像を奥の院の秘仏として岩窟に祀り、全山をご本尊の不動明王として護摩修法をなされた。本堂は200m程垂直に切り立った断崖をくりぬき半分岩を屋根にして建っている。右の岸壁が金剛界峰、左が胎蔵界峰と呼ばれている。
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山門 | 山門 | 日本遺産「四国遍路」岩屋寺 | 参道入口 | 長〜い石段 |
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本堂 | 大志堂 | 仁王門 | 手水場 | 鐘楼 |
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岸壁に食込む社務所 | 岸壁に食込む社務所 | 穴禅定 | かなえる不動 | 地蔵尊 |
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子安地蔵 | 納経所 | 遍照閣 | みちびき地蔵 | 修行大師 |
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Jyoururi_ji 2018.6.25 参拝
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◆ 浄瑠璃寺は松山市内八ヶ寺の打ち始めの霊場である。参道入口の石段左に「永き日や衛門三郎浄るり寺」と彫られた正岡子規の句碑があり、お遍路を迎えてくれる。このあたりは遍路の元祖といわれる右衛門三郎の古里として知られる。和銅元年(708)行基菩薩は奈良東大寺勧進に先立ち、布教のためにこの地を訪れ、この地を仏法修行の地として定め、伽藍を建立して自刻の薬師如来を安置して、脇侍に日光・月光菩薩と、眷属として十二神将を彫造して安置した。寺名は薬師如来がおられる瑠璃光浄土から「浄瑠璃寺」とし、山号もまた医王如来に因んだ。そして百年後の弘仁三年、弘法大師が訪れて伽藍を整備再興、46番の霊場と定めた。なお四国霊場では唯一の仏足石、全国でも珍しい仏筆石がある。
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山門 | 本堂 | 大志堂 | 手水舎 | 鐘楼 | ![]() |
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興教大師堂 | 正岡子規の句「永き日や衛門三郎浄るり寺」 | 仏筆石 | 仏筆石 | 仏の指紋 |
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仏足石 | 樹齢千年イブキビャクシン(市天然記念物) | 水子地蔵 | 籾大師 | 宝篋印塔 |
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一願弁天堂 | 納経所 |
Yasaka_ji 2018.6.25 参拝
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◆ 浄瑠璃寺から八坂寺へは1キロ弱で田園のゆるやかな曲がり道をたどる遍路道「四国のみち」がある。遍路の元祖といわれる右衛門三郎の伝説との縁も深い。こじんまりとした寺で境内には鎌倉時代の苔むした宝篋印塔がたっている。創建は古く、役の行者・小角の開基と伝えられ、大宝元年(701)小千伊予守玉興公が寺を建て、のち文武天皇の勅願所として発展した。伽藍を建てる時、八ヶ所の坂道を切り開いて創立したので、八坂寺の寺号が付けられた。弘法大師がこの寺で修法したのは百余年後の弘仁6年(815)、荒廃した寺を再興して霊場と定めた。本尊の阿弥陀如来坐像は、浄土教の論理的な基礎を築いた恵心僧都源信(942〜1017)の作と伝えられる。その後、紀州から熊野権現の分霊や十二社権現を奉祀して修験道の根本道場となり、「熊野八坂寺」とも呼ばれるようになった。このころは境内に12坊、末寺が48ヶ寺と隆盛をきわめ、僧兵を抱えるほど栄えた。
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山門 | 山門 | 参道の石段 | 八坂寺縁起 | 手水場 |
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本堂 | 大志堂 | 鐘楼 | 宝篋印塔 | 宝篋印塔説明 |
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駐車場からの全景 |
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Sairin_ji 2018.6.25 参拝
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◆ 寺の前に小川があり、きれいな水が流れている。門前にはまた正岡子規の句碑があり、「秋風や高井のていれぎ三津の鯛」と刻まれている。「ていれぎ」は刺し身のツマに使われる水草で、このあたりの清流に自生し、松山市の天然記念物とされている。寺伝によれば聖武天皇の勅願によって天正十三年(741)行基菩薩が徳威の里(松山市小野播磨塚付近)に堂宇を建立し、一宮別当寺として開創した。その後大同二年(807)に弘法大師は現在地に寺を移し、十一面観世音を刻んで本尊として安置した。寺より南西300mの所には全国名水百選に選ばれている「杖の淵」がある。大師がこの地を訪れた時、人も草も枯れる程の日照り続き。とある家で老人に水を請うと長い時間待たされたが、桶一杯の水を供された。老人は遠くの泉へ水を汲みに行っていたそう。水不足に悩む村人を救うため大師は村の所々を突いて清水の湧く水脈を発見したそうである。
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仁王門 | 密迹金剛 | 那羅延金剛 | 手水舎 | 日本遺産「四国遍路」西林寺 |
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本堂 | 太子堂 | 鐘楼 | 持仏堂 | 子育・水子不動尊 |
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六菩薩 | 洗心の塔 | 名水百選「杖の淵」 | 杖の淵 | 杖の淵 |
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参考文献:徳島新聞社刊「四国霊場の旅」