この地に初めて築城したのは、鎌倉時代末期に守護として国入りした伊予宇都宮氏の宇都宮豊房で、元徳3年(1331年)のことであるといわれている。
豊房には子がなく筑後宇都宮氏の宇都宮貞泰の子の宇都宮宗泰を養子に迎え、宇都宮氏はその後、国人として二百数十年間にわたって南伊予を中心に支配を行うが、永禄の末期に毛利氏の伊予出兵によって降伏した。天正初年に土佐の長宗我部元親と通じた家臣の大野直之によって大洲城を追われた。しかし天正13年(1585年)にはその大野直之も豊臣秀吉の意を受けた小早川隆景によって攻め滅ぼされ、その小早川隆景が35万石で伊予に入封し、大洲城は一支城となった。
その後戸田勝隆が城主として入ったが、文禄4年(1595年)に藤堂高虎が入城すると近世の城郭として整備され、慶長14年(1609年)には淡路の洲本から脇坂安治が入城し、この2人の時代に天守をはじめとする建造物が造営された。
また脇坂安治の時代に従来の「大津」から現在の「大洲」に城名が変更(異説あり)された。元和3年(1617年)に伯耆米子から6万石で加藤貞泰が入り、以後加藤氏が12代に亘り大洲藩主として治め明治維新を迎えた。<wiki wand より>
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別名 | 比志城、地蔵ヶ嶽城、大津城 |
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所在地 | 愛媛県大洲市大洲903 |
城地種類 | 梯郭式平山城 |
築城年代 | 元徳3年(1331年) |
築城者 | 宇都宮豊房 |
主な改修者 | 藤堂高虎、脇坂安治、加藤貞奏 |
主要城主 | 宇都宮氏、藤堂氏、脇坂氏、加藤氏 |
文化財史跡区分 | 国重要文化財(台所櫓・南隅櫓・ 高欄櫓・苧綿櫓)、愛媛県史跡 |