享徳年中 | 1452〜1454 | 赤松満祐の一族、岡豊前守光景が大鷹の城の砦を築く |
文正元年 | 1466 | 岡豊前守光宏が加里屋古城を築く |
天正十四年 | 1586 | 生駒親正が赤穂(6万石)入部する |
天正年中 | 1587〜1591 | 宇喜多秀家の家臣、津浪法印某が代官屋敷を構える |
慶長五年 | 1600 | 池田輝政の末弟長政が在城する |
慶長八年 | 1603 | 池田輝政の家臣、垂水半左衛門勝重が郡代(知行500石)となる |
慶長十八年 | 1613 | 池田忠継(3万2千石)の家臣、 垂水半左衛門が浦手奉行として一重の掻上城を築く |
元和元年 | 1615 | 池田(松平)政綱が赤穂に入封する(3万5千石) |
寛永十八年 | 1641 | 池田(松平)輝興が赤穂に入封する(3万5千石) |
慶安元年 | 1648 | 赤穂城築城始まる |
寛文元年 | 1661 | 赤穂城完成 |
正保二年 | 1645 | 浅野長直が赤穂に入封する、(5万3千5百石)3代続く |
元禄十四年 | 1701 | 三代藩主長矩が、江戸城において刃傷事件を起こす。 翌日切腹、赤穂浅野藩断絶 |
元禄十五年 | 1702 | 永井直敬が赤穂に入封する(3万3千石)一代のみ |
宝永三年 | 1706 | 森長直が赤穂に入封する(2万石)明治の廃藩まで十二代続く |
明治十一年 | 1878 | 本丸藩庁解体される |
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別名 | 加里屋城・大鷹城 |
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所在地 | 兵庫県赤穂市加里屋81番地 |
城地種類 | 変形輪郭式平城 |
築城年代 | 1466年(文政元年)〜1483年(文明15年) |
築城者 | 岡光広 |
主な改修者 | 池田長政、浅野長直 |
主要城主 | 池田氏、浅野氏、森氏 |
文化財史跡区分 | 国の史跡、名勝(本丸庭園、二の丸庭園) |
江戸時代、赤穂藩の藩庁が置かれた。 元和偃武の後、本格築城された城郭である。縄張りは変形輪郭式。本丸と二の丸が輪郭式に配され、その北側に三の丸が梯郭式に置かれている。銃砲撃戦を意識した設計となっており、十字砲火が可能なように稜堡に良く似た横矢掛かりが数多く用いられている。縄張りは赤穂浅野氏初代長直の時代、浅野氏に仕えた甲州流兵学者の近藤正純によってなされた。長直の招きで、1,000石の厚遇で江戸の藩士に兵学を教えていた山鹿素行が32歳の時、赤穂に7カ月滞在して縄張りについて助言。これにより二の丸周辺の手直しがされた。それまでは一重の堀に囲まれた掻上城(かきあげじょう)という質素なものであった。素行は後日、幕府の御用学問であった朱子学を批判したことで流罪になりその赤穂城内に住んだ。
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