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ベイシー写真館

龍野城

日本100名城登城済城郭(※印未登城)

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龍野城の概要

 龍野城は明応8年(1499)室町時代末期に塩屋城の龍野赤松氏・赤松村秀が龍野にあった(けいろうさん)城を築いた。以後、政秀、広貞、広秀と続いたが、天正五年(1577)に信長の命による秀吉の播州征伐の軍門に降り開城、赤松氏から豊臣秀吉の手に渡り、播磨平定後、姫路城を本拠として整備した秀吉は新たに蜂須賀正勝を置いた。その後慶長初年に山頂にあった天守が破却されたという言い伝えが残っています。江戸時代に入ると龍野城は現在地に平山城として築かれてその後城主も何代か入れ替れ代わったが、、万治元年京極高和の丸亀城移転に際して破却され、その後十四年間は天領となっていました。寛文12年(1672)幕命によって信州飯田から脇坂安政が五万三千石で入部し龍野城を再建しましたが、時代は既に太平の世でもあり、また外様大名でもあったので幕府の嫌忌に触れることを恐れこの際山頂の郭は放棄され、山麓居館部のみの陣屋形式の城郭になった。


歴代城主一覧

元号西暦家名・城主
永正3年〜天正5年1506〜1577赤松四代、村秀、政秀、広貞、広英
天正8年〜天正13年1580〜1587蜂須賀正勝
天正13年〜天正15年1587〜1589福島正則
天正15年〜文禄3年1589〜1594木下勝俊
文禄3年〜文禄4年1594〜1595小出吉政
文禄4年〜慶長5年1595〜1600豊臣政権蔵入地、石川光元城番
慶長5〜元和3年1600〜1617池田3代(輝政、利隆、光政)
     (城代・荒尾成房、池田長明)
元和3年〜寛永3年1617〜1626本多政朝
寛永3年〜寛永9年1626〜1632小笠原長次
寛永10年〜寛永13年1633〜1636岡部宣勝
寛永14年〜万治元年1637〜1658京極高和
寛文12年〜明治4年1672〜1871脇坂10代ー安政、安照、安清、安興、安弘、安実、安親
安薫、安宅、安斐

歴代城主家紋


鍛坂(しころざか)門
埋(うずみ)門
アクセスカウンター
明石城スタンプ

別名霞城
所在地 兵庫県龍野市上霞城
城郭構造平山城
天守構造なし
築城年代1499年(明応8年)
築城者赤松村秀
主な改修者者脇坂安政
主要城主赤松氏、蜂須賀氏、福島氏、木下氏、小出氏、石川光元、池田氏、本多氏、小笠原氏、岡部氏、京極氏、脇坂氏
文化財
史跡区分
なし
遺構石垣
再建造物御殿、模擬櫓・門・塀

龍野城縄張り図

龍野古城復元絵図

グーグルマップ
龍野城案内
隅櫓
後方の山が龍野古城のあった鶏籠山
本丸御殿
埋門(城内から)
多聞櫓(武器庫)
奥が埋門
埋門
埋門を右へ行くと本丸へ
埋門を左へ行くと多聞櫓
龍野城重建之碑
埋門・渡櫓・付櫓
隅櫓(本丸から)
しころ坂門
しころ坂門(本丸から)高麗門形式
隅櫓下のしころ坂登口
家老門(現在小学校の校門)
家老門説明
城門を移築したとされる因念寺
城門を移築したとされる如来寺
龍野城下町
龍野歴史文化資料館
歴代の城主
歴代の城主
鉄砲の展示
本丸御殿
本丸御殿
御殿内
御殿内
御殿内
御殿内
御殿内
御殿内
御殿中庭

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