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勝浦郡 今山城(いまやまじょう)
![]() | 平山城 |
![]() | 並木城 |
![]() | 徳島県勝浦郡勝浦町沼江字城ヶ鼻 |
![]() | 50m×80m |
![]() | 藤原国村は大栗左近と称し、中山城の城主でもある。『勝浦郡村誌』では並木城と呼び、星谷の大宮八幡神社の文明年間の棟札に大栗政吉の名があるので、左近の父、政吉の代よりの居城だそうである。なお氏は代々大栗左近を名乗り阿波藩鉄砲衆の祖だそうである。 |
![]() | 戦国期 |
![]() | 大栗左近(藤原国村) |
![]() | 城跡は勝浦川の河岸段丘、中津峰山南麓の標高50mの尾根先端の城ノ鼻に位置する。山麓の県道脇に勝浦遺跡研究会による城跡碑が建てられている。郭跡のほぼ直下まで車は行けるがそこからは急斜面で道の無し、登城は断念。 |
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今山城城跡碑 | 城ノ鼻尾根遠景 | 今山城縄張り図 |
勝浦郡 岩松城(いわまつじょう)
![]() | 平山城 |
![]() | 星谷城 |
![]() | 徳島県勝浦郡勝浦町星谷字宮原 |
![]() | 時兼は生夷(生比奈)の地頭職に任ぜられてこの地に来た。その後南北朝の争乱期に南朝方の有力武将として活躍し建武の中興の際に飛騨国守護職に任ぜられここを去り廃城となった。『阿波志』では源長政、福良出羽守の支城とされている。八幡祠に寶伝丸と称する武器庫があったとされる。 |
![]() | 鎌倉期 |
![]() | 岩松時兼 |
![]() | 今山城から勝浦川上流の大宮八幡神社の境内地が城跡。勝浦遺跡研究会による城跡碑が建てられている。日本城郭大系では中津峯山の如意輪寺北側が城跡とされて石垣が残っているそう。 |
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県道沿いの 大宮八幡神社の鳥居 | 階段登って長い参道が続く | 福良出羽守が再建したとされる大宮八幡神社(八幡祠) | 城跡石碑 |
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郭跡よりの眺望 |
勝浦郡 山分城(やまわきじょう)
![]() | 平山城 |
![]() | 棚野城 |
![]() | 徳島県勝浦郡勝浦町字前田 |
![]() | 180m×300m |
![]() | 徳島市の山分城の支城、他に星谷城・棚野城・飯谷城。勝浦を脱出した細川真之は、先ず飯谷の福良出羽守長政のもとに身をよせる。福良氏は真之を仁宇谷の要害に送り、大栗右近・服部因旛守・森監物・栗田宇右衛門・中角六郎左衛門等を警護にあたらせた。 |
![]() | 源俊平(福良出羽守長政) |
![]() | 県道16号線、徳島銀行勝浦支店脇の細い路地を約300m南へ登った処で、棚野の円城寺の北麓が城跡地。勝浦遺跡研究会による城跡碑が建てられている。 |
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棚野城城跡碑 | 棚野城城跡碑 | 棚野城遠景 | 円城寺 |
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勝浦郡 中津野城(なかつのじょう)
![]() | 徳島県勝浦郡勝浦町中角字豊田 |
![]() | 中角城・田呼城 |
![]() | 中角六郎左衛門 |
![]() | 城主の中角六郎左衛門は勝瑞を出奔し仁宇谷の茨ヶ岡に拠った細川真之の番役の一人、天正中長宗我部の軍により落城。 |
![]() | 城跡地は生比奈小学校南西の山麓か現小学校敷地にあったとされる。県道沿いに勝浦遺跡研究会による城跡碑が建てられている。 |
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中津野城城跡碑 | 中津野城城跡碑 | 生比奈小学校 |
勝浦郡 森城(もりじょう)
![]() | 徳島県勝浦郡勝浦町生名字屋敷 |
![]() | 福良出羽守 |
![]() | 城主は福良出羽守。その他詳しいことは不明。 |
![]() | 城跡には勝浦遺跡研究会によって生名谷川の堤防上に城跡碑が建てられている。生名谷川を挟んで南を、四国八十八箇所20番札所鶴林寺に至る遍路道が通過する。 |
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森城城跡碑 | 森城城跡碑 | 生名谷川 |
勝浦郡 中津野中城(なかつのなかじょう)
![]() | 徳島県勝浦郡勝浦町三渓字平 |
![]() | 大栗左近氏は阿波の地頭を拝命された岩松時兼(岩松城主)に従って阿波生夷(生比奈)に赴任。代々大栗左近を名乗り務めた。 |
![]() | 勝浦川左岸の三渓字平の中山八幡神社参道脇にに勝浦遺跡研究会による城跡碑が建てられている。碑のすぐ左が中山八幡神社への階段があり頂部の境内地が丘陵になっており、ここが曲輪であった可能性がある。 |
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中津野中城城跡碑 | 中山八幡神社参道 | 中山八幡神社 | 中山八幡神社 |
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勝浦郡 中山城(なかやまじょう)
![]() | 徳島県勝浦郡勝浦町三渓字栗城 |
![]() | 城主は、今山城と同じく大栗左近藤原国村。城跡の伝承地は勝浦町教委にも訊ねたが詳しくは不明。婆羅尾谷川と神谷川に挟まれた河岸段丘上だそうである。 |
![]() | 未登城 |
勝浦郡 牟谷城(むやじょう)
![]() | 徳島県勝浦郡勝浦町 |
![]() | 『古将記』に牟谷城、大栗右近となっている。勝瑞を脱出し仁宇谷の茨ヶ岡城に拠った細川真之の番役の一人。今山城の大栗左近の一族と考えられる。その他詳しくは不明。 |
![]() | 未登城 |
参考文献「日本城郭大系」第15巻、香川・徳島・高知編、徳島県教育委員会「徳島県の中世城館」
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