▲TOPへ戻る

ベイシー写真館

勝浦郡 今山城(いまやまじょう)

平山城
別名並木城
所在地徳島県勝浦郡勝浦町沼江字城ヶ鼻
規模50m×80m
歴史藤原国村は大栗左近と称し、中山城の城主でもある。『勝浦郡村誌』では並木城と呼び、星谷の大宮八幡神社の文明年間の棟札に大栗政吉の名があるので、左近の父、政吉の代よりの居城だそうである。なお氏は代々大栗左近を名乗り阿波藩鉄砲衆の祖だそうである。
築城年代戦国期
築城主大栗左近(藤原国村)
城の現状城跡は勝浦川の河岸段丘、中津峰山南麓の標高50mの尾根先端の城ノ鼻に位置する。山麓の県道脇に勝浦遺跡研究会による城跡碑が建てられている。郭跡のほぼ直下まで車は行けるがそこからは急斜面で道の無し、登城は断念。
阿波今山城 阿波今山城 阿波今山城
今山城城跡碑城ノ鼻尾根遠景今山城縄張り図

勝浦郡 岩松城(いわまつじょう)

城の形態平山城
別名星谷城
所在地徳島県勝浦郡勝浦町星谷字宮原
城の歴史時兼は生夷(生比奈)の地頭職に任ぜられてこの地に来た。その後南北朝の争乱期に南朝方の有力武将として活躍し建武の中興の際に飛騨国守護職に任ぜられここを去り廃城となった。『阿波志』では源長政、福良出羽守の支城とされている。八幡祠に寶伝丸と称する武器庫があったとされる。
築城年代鎌倉期
築城主岩松時兼
城の現状今山城から勝浦川上流の大宮八幡神社の境内地が城跡。勝浦遺跡研究会による城跡碑が建てられている。日本城郭大系では中津峯山の如意輪寺北側が城跡とされて石垣が残っているそう。
阿波岩松城 阿波岩松城 阿波岩松城 阿波岩松城
県道沿いの
大宮八幡神社の鳥居
階段登って長い参道が続く福良出羽守が再建したとされる大宮八幡神社(八幡祠)城跡石碑
阿波
郭跡よりの眺望

勝浦郡 山分城(やまわきじょう)

城の形態平山城
別名棚野城
所在地徳島県勝浦郡勝浦町字前田
規模180m×300m
歴史徳島市の山分城の支城、他に星谷城・棚野城・飯谷城。勝浦を脱出した細川真之は、先ず飯谷の福良出羽守長政のもとに身をよせる。福良氏は真之を仁宇谷の要害に送り、大栗右近・服部因旛守・森監物・栗田宇右衛門・中角六郎左衛門等を警護にあたらせた。
築城主源俊平(福良出羽守長政)
城の現状県道16号線、徳島銀行勝浦支店脇の細い路地を約300m南へ登った処で、棚野の円城寺の北麓が城跡地。勝浦遺跡研究会による城跡碑が建てられている。
阿波山分城 阿波山分城 阿波山分城 阿波山分城
棚野城城跡碑棚野城城跡碑棚野城遠景円城寺

勝浦郡 中津野城(なかつのじょう)

所在地徳島県勝浦郡勝浦町中角字豊田
別名中角城・田呼城
城主中角六郎左衛門
歴史城主の中角六郎左衛門は勝瑞を出奔し仁宇谷の茨ヶ岡に拠った細川真之の番役の一人、天正中長宗我部の軍により落城。
城の現状城跡地は生比奈小学校南西の山麓か現小学校敷地にあったとされる。県道沿いに勝浦遺跡研究会による城跡碑が建てられている。
阿波中津野城 阿波中津野城 阿波中津野城 googlemap
中津野城城跡碑中津野城城跡碑生比奈小学校

勝浦郡 森城(もりじょう)

所在地徳島県勝浦郡勝浦町生名字屋敷
城主福良出羽守
歴史城主は福良出羽守。その他詳しいことは不明。
城の現状城跡には勝浦遺跡研究会によって生名谷川の堤防上に城跡碑が建てられている。生名谷川を挟んで南を、四国八十八箇所20番札所鶴林寺に至る遍路道が通過する。
阿波森城 阿波森城 阿波森城 googlemap
森城城跡碑森城城跡碑生名谷川

勝浦郡 中津野中城(なかつのなかじょう)

所在地徳島県勝浦郡勝浦町三渓字平
歴史大栗左近氏は阿波の地頭を拝命された岩松時兼(岩松城主)に従って阿波生夷(生比奈)に赴任。代々大栗左近を名乗り務めた。
城の現状勝浦川左岸の三渓字平の中山八幡神社参道脇にに勝浦遺跡研究会による城跡碑が建てられている。碑のすぐ左が中山八幡神社への階段があり頂部の境内地が丘陵になっており、ここが曲輪であった可能性がある。
阿波中津野中城 阿波中津野中城 阿波中津野中城 阿波中津野中城
中津野中城城跡碑中山八幡神社参道中山八幡神社中山八幡神社
googlemap

勝浦郡 中山城(なかやまじょう)

所在地徳島県勝浦郡勝浦町三渓字栗城
歴史城主は、今山城と同じく大栗左近藤原国村。城跡の伝承地は勝浦町教委にも訊ねたが詳しくは不明。婆羅尾谷川と神谷川に挟まれた河岸段丘上だそうである。
城の現状未登城

勝浦郡 牟谷城(むやじょう)

所在地徳島県勝浦郡勝浦町
歴史『古将記』に牟谷城、大栗右近となっている。勝瑞を脱出し仁宇谷の茨ヶ岡城に拠った細川真之の番役の一人。今山城の大栗左近の一族と考えられる。その他詳しくは不明。
城の現状未登城

参考文献「日本城郭大系」第15巻、香川・徳島・高知編、徳島県教育委員会「徳島県の中世城館」