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ベイシー写真館

東みよし町 金丸城(かなまるじょう)

山城
別名城ノ丸
所在地徳島県三好郡東みよし町西庄・井川町井内東
30m×50m、標高1169m
祖谷地方の山岳武士団の守城であり、近くに神城・鳥の城・下の城などという地名が残っている。天正10年落城。
永禄・元亀年間(1558〜73)
阿佐(麻植)紀伊守
未登城
阿波金丸城 阿波金丸城

東みよし町 鴨城(かもじょう)

城の形態平城
36m×30m
別名加茂城・遠見城
所在地徳島県三好郡東みよし町加茂字宮西
城の歴史久米義広は天文18年伊予の久米から来て加茂郷を領し、細川持隆の家臣三好(久米)安芸守義広が城を築き、やがて家臣の加藤主水正・真木山肥後守・青野道意・三木道恩の4人に託して名東郡芝原へ移った。城は長宗我部の侵攻により落城。
築城年代天文18年(1549)
築城主三好安芸守義広
城の現状未登城
阿波鴨城

東みよし町 山口城(やまぐちじょう)

城の形態平山城
所在地徳島県三好郡東みよし町中庄
歴史源平合戦で源義経に従い、屋島の合戦で大勝した篠原諸好は、逃げる平氏を追って、祖谷に逃げ込んだ平氏の押さえとして、ここに城を築いた。諸好の16代目の三河守好長はよく守ったがついに落城した。
築城年代文治元年(1185)
築城主篠原太良二郎諸好
城の現状城跡は三加茂平野の東端部、標高80mの河岸段丘に位置する。現況は農地、宅地であり西、北、東は急崖である。長宗我部軍との攻防にまつわる伝承で、山口城が設けた水壕による防禦に対し、攻撃の長宗我部軍は西方から火責めで攻撃したそうである。
阿波山口城 阿波山口城 阿波山口城 阿波山口城
山口城標識篠原三河守の慰霊碑山口城跡石柱主郭跡
阿波山口城 googlemap
山口城遠景(北より)

東みよし町 東昼間城(ひがしひるまじょう)

城の形態平山城
規模20m×15m
所在地徳島県三好郡東みよし町昼間字土井
城の歴史佐々木氏は、白地城大西氏の配下で、天正年間に大西覚用と共に美馬重清城を攻めて戦死した。
築城年代戦国期
築城主佐々木右京進
城の現状城跡は東みよし町土井の美濃田大橋北図詰めの標高113mの滝宮山の中腹の高さ30mの丘陵に位置する。城跡は現在滝宮神社が鎮座する。
阿波東昼間 阿波東昼間 阿波東昼間 googlemap
登城口滝宮神社滝宮神社(城郭跡)

東みよし町 東山城(ひがしやまじょう)

城の形態山城
所在地徳島県三好郡東みよし町東山字柳沢
城の歴史白地城大西出雲守頼武の三男大西備中守がこもり天正5年長宗我部の侵攻により落城。八石城・田尾城と共に南北朝期、南朝方山岳武士の三大拠点の一つであった。
築城年代南北朝期
築城主大西備中守
城の現状城跡は東みよし町南東部の標高401mの城山(じょうやま)山頂にある。地図で見ても等高線が密の非常に険しい山で道幅も狭く、車の対向もままならない非常に険しい城跡である。主郭は広さ約1反半もあり、これを囲むように櫓台や土塁がめぐらされ遺構の保存状態は良い。
阿波東山城 阿波東山城 阿波東山城 阿波東山城
県道にある標識その下にある史跡案内東山城遠景(南より)東山城行先案内
阿波東山城 阿波東山城 阿波東山城 阿波東山城
東山城行先案内急勾配の長い坂が
約500m続く
物見櫓東山城址案内板
阿波東山城 阿波東山城 阿波東山城 阿波東山城
東山城空掘配置図堅堀に架かる木橋堅堀堀切
阿波東山城 阿波東山城 阿波東山城 阿波東山城
堀切本丸南側本丸北側逆茂木
阿波東山城 阿波東山城 阿波東山城 阿波東山城
竹束盾竹束盾帯曲輪田ノ岡城から見る城山
googlemap

東みよし町 田ノ岡城(たのおかじょう)

城の形態平城
規模20m×15m
所在地徳島県三好郡東みよし町敷地
城の歴史城主は田岡刑部、近江を拠点とする武将佐々木定綱の子孫。足代城の支城であったと思われる。落城か廃城かについては不明。
築城年代不明
築城主田岡刑部
城の現状城跡は現状、辛くも主郭が少し残っている(しかし南北に分断されている)程度で大きく破壊されている。現在もブルドーザーで掘り返しており、貴重な文化財をもう少し大切にして欲しいですね。主郭から北へ約100mの県道12号線(撫養街道)沿いに大木戸跡(城の大手門にあたる)の標識がある。
阿波田ノ岡城 阿波田ノ岡城 阿波田ノ岡城 阿波田ノ岡城
県道にある標識その下にある史跡案内大木戸(大手門)跡田ノ岡城標柱
阿波田ノ岡城 阿波田ノ岡城 阿波田ノ岡城 阿波田ノ岡城
田ノ岡城遠景(北より)田ノ岡城遠景(東より)本丸跡田岡大明神
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東みよし町 土器丸城(どきのまるじょう)

所在地徳島県三好郡東みよし町昼間字中屋
城主萩田修理允久富
城の歴史城主萩田久富田岡城との戦いで討ち死に。
城の現状城跡の伝承地は阿讃山脈から派生した標高200mの尾根頂部。
阿波土器丸城 googlemap
土器丸城遠景

東みよし町 土居ノ段城(どいのだんじょう)

別名円通寺遺跡
所在地徳島県三好郡東みよし町足代
城の歴史城は平安時代末期に当地域の開発を行った領主の居館として成立したもので、室町までは存在していたが、戦国期までは存立していない。
城の現状四国自動車道吉野川サービスエリアの建設に伴い円通寺遺跡の名称で発掘調査された。現在はサービスエリアや美濃田の渕キャンプ場となっており、遺構はサービスエリア内に出土した火葬墓や壷が展示されている。
阿波土居ノ段城 阿波土居ノ段城 阿波土居ノ段城 阿波土居ノ段城
城跡地付近美濃田の渕案内吉野川美濃田の渕火葬墓説明板
阿波土居ノ段城 googlemap
火葬墓復元展示

東みよし町 鳥ノ木城(とりのきじょう)

所在地徳島県三好郡東みよし町西庄字中名
城の歴史
城の現状未登城

東みよし町 小高下ノ城(こうげのじょう)

所在地徳島県三好郡東みよし町西庄加茂山上
城主
城の歴史
城の現状

東みよし町 足代城(あしろじょう)

所在地徳島県三好郡東みよし町足代
城主三好備前守
城の歴史城主は三好備前守、天正5年(1577)、長宗我部の家来になった馬路城城主、大西上野守に攻められ落城。
城の現状中央の本丸を挟んで南北に大きな曲輪があった大変大きな城であったと思われる。主郭はかって東西100m、南北40mの規模だったが徳島道や三三大橋の建設に伴う土砂の採取で大きく破壊されたようである。
阿波足代城 阿波足代城 阿波足代城 阿波足代城
足代城案内板本丸跡北の曲輪跡南の曲輪跡
阿波足代城 googlemap
南の曲輪にある杉尾神社

東みよし町 神木城(じんぎじょう)

所在地徳島県三好郡東みよし町西庄字新発地
城の歴史
城の現状未登城

東みよし町 中庄城(なかしょうじょう)

所在地徳島県三好郡東みよし町中庄
城主三好備前守
城の歴史『三好郡村誌』では「阿佐紀伊守城址」としており、『三加茂町誌』では三好越後守勝時・政長・政勝の三代が拠ったとするなど城主については、三好備前守、阿佐紀伊守、三好越後守など様々である。
城の現状県道264号線角の浦大橋南詰めの西側が城跡地である。付近一帯は埋蔵文化財包蔵地、中庄東遺跡に該当。
阿波中庄城 阿波中庄城 googlemap
城跡地付近城跡地付近

東みよし町 金丸東城(かなまるひがしじょう)

所在地徳島県三好郡東みよし町加茂
別名東ノ城
城の現状未登城

東みよし町 加藤氏屋敷跡(かとうしやしき)

所在地徳島県三好郡東みよし町加茂古川
城主加藤主水正
城の歴史
城の現状未登城

東みよし町 三木氏屋敷跡(みきしやしき)

所在地徳島県三好郡東みよし町加茂土居
城主三木道息(恩)
城の歴史
城の現状未登城

東みよし町 真木山氏屋敷跡(まきやましやしき)

所在地徳島県三好郡東みよし町加茂貞広
城主真木山肥後守
城の歴史
城の現状未登城

東みよし町 青野氏屋敷跡(あおのしやしき)

所在地徳島県三好郡東みよし町加茂稲持
城主青野道意
城の歴史
城の現状未登城

参考文献「日本城郭大系」第15巻、香川・徳島・高知編、徳島県教育委員会「徳島県の中世城館」