1576年(天正4年)、織田信長は総普請奉行に丹羽長秀を据え、近江守護六角氏の居城観音寺城の支城のあった安土山に築城を開始。 1579年(天正7年)5月、完成した天主に信長が移り住む。同年頃に、落雷により本丸が焼失したと、ルイス・フロイスが著書『日本史』に記している。 1582年(天正10年) 5月15日には明智光秀が饗応役となった徳川家康の接待が行われている。同29日の京都本能寺に信長が光秀の謀反により自害した本能寺の変の際は蒲生賢秀が留守居役として在城していたが、信長の自害後に蒲生賢秀・氏郷父子は本拠地日野城に信長の妻子などを安土城から移動させ退去。その後、明智軍が安土城を占拠した。山崎の戦いで光秀が敗れた後、天主とその周辺の建物(主に本丸)が焼失した。
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城郭構造 | 山城 |
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天守構造 | 望楼型地上6階地下1階(1579) |
築城主 | 織田信長 |
築城年 | 1576年(天正4年) |
主な城主 | 織田氏・明智氏 |
廃城年 | 1585年(天正13年) |
遺構 | 曲輪、天守台、石垣、堀 |
指定文化財 | 国特別史跡 |
再建造物 | 一部の石垣、大手道石階段、門跡 |
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