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ベイシー写真館

浜松城

日本100名城登城済城郭(※印未登城)

天下盗り物語

 後に天下人となった徳川家康。その若き29〜45才の頃、今川、武田、織田など
戦国の世に名を上げた、周辺諸国の名家、強大な戦国大名に囲まれ、
戦い生き延びて、天下盗りの夢を掴んだ場所が浜松城である。

しかみ像

 生国の岡崎を離れ、駿府(現静岡市)の今川家で送った人質生活、青年期に織田家と同盟を結び、岡崎から西遠までを支配下におさめ、戦国大名として着実に力をつけていきました。耐え難きを耐え、力を蓄え、徳川三百年の礎となった浜松城での17年間です。

 家康の生涯最大の敗戦と言われるのが、元亀三年(1572)の三方ヶ原の合戦です。南下してきた、武田軍2万7千に対して徳川軍1万2千(うち織田軍3千)。天下に名の轟く武田騎馬軍団に多勢に無勢、無残に敗走することになります。この時多くの部下を失い、命からがら城に逃げ帰った家康は、その憔悴した姿を像として残し、生涯この敗戦を忘れないようにしたと言われています。上の像が有名な"しかみ像”といわれる像です。
 浜松城案内パンフレットより

三方ヶ原の戦い

三方ヶ原の合戦図

 wikipediaより

 元亀元年、29歳になった家康は、今川の領国だった遠江に進出し浜松城を居城としました。元亀3年10月、上洛の野望を抱いた武田信玄は甲斐を出発。甲斐から信濃に入り、現在の静岡から長野の県境にある、青崩峠、兵越峠を越えて遠江国に進軍し、北遠地方を次々と攻略し南下しました。その後苦戦の末に二俣城を開城させた武田勢は、天竜川を渡り、大菩薩から三方原台地に登り、信玄は強固な浜松城を攻めるより、三方原におびき出して戦った方が有利と考え、大菩薩から三方原を西北進した。家康は直ちに浜松城を出て追撃。
・ 武田方は、北条氏の援軍を合わせ約25,000人「魚燐の陣」
・ 徳川方は、織田氏の援軍を合わせ約11,000人「鶴翼の陣」
数に勝る武田軍に徳川軍は総崩れとなり、家康も九死に一生を得て浜松城へ逃げ帰り篭城、武田軍は追撃をやめ、犀ヶ崖付近で兵士を集め陣を張りました。

犀ヶ崖の奇襲

徳川軍は反撃に転じるために一計を案じ、犀ヶ崖に武田軍を追い落とそうと崖に白い布を張り、橋が架かっているように見せかけたのです(布橋という地名が残っています)。夜半になって、浜松城近くにある普済寺に火を放ち、浜松城炎上とみせかけて、武田の陣営を背後から鉄砲を打ち込み、信長の援軍が来たと思い込ませ、武田軍を人馬もろとも谷底へ追い落とし大損害を与えました。しかし徳川軍の戦死者は約1000人で家康の大敗北でしたが、当時戦国最強といわれた武田信玄の大軍に果敢に立ち向かったことで、その評価を高める結果となりました。

 浜松城案内パンフレットより


天守閣

天守曲輪より望む模擬天守

アクセスカウンター
浜松城スタンプ

出世城と呼ばれた浜松城

 家康が天下統一を果たし、駿府に入城した後、浜松城は主に家康ゆかりの譜代大名が城主となりました。概ね五万石前後で、浜松藩三百年の間に、再任を含め25代の城主が誕生し、老中に5人、大阪城代2人、京都所司代2人、寺社奉行に4人が登用されています。特に有名な城主は、天保の改革で知られる水野越前守忠邦。唐津藩主時代に昇格のため願い出て浜松藩主となり、後に老中になったといわれています。

浜松城案内パンフレットより

浜松城歴代城主
歴代城主在城期間石高前封地
徳川家康1570〜158656万石岡崎
堀尾帯刀吉晴1590〜159912万石近江佐和山
堀尾信濃守忠氏1599〜160017万石
松平佐馬亮忠頼1601〜16095万石美濃金山
水野対馬守重仲1609〜16193.5万石常陸
高力摂津守忠房1619〜16383万石武蔵岩槻
松平和泉守乗寿1638〜16443.5万石美濃岩村
太田備中守資宗1644〜16713.5万石三河西尾
太田摂津守資次1671〜16783.2万石大阪城代
青山因幡守宗俊1678〜16795万石
青山和泉守忠雄1679〜16855万石
青山下野守忠重1685〜17025万石
松平伯耆守資俊1702〜17237万石常陸笠間
松平豊後守資訓1723〜17297万石
松平伊豆守信祝1729〜17447万石三河吉田
松平伊豆守信復1744〜17497万石
松平豊後守資訓1749〜17527万石三河吉田
松平富之助資昌1752〜17587万石
井上河内守正経1758〜17666万石京都所司代
井上河内守正定1766〜17866万石
井上河内守正甫1786〜18176万石
水野越前守忠邦1817〜18456万石備前唐津
水野金五郎忠精18457万石
井上河内守正春1845〜18476万石上野館林

アクセスカウンター

天守門


浜松城公園行先案内


本丸入口


本丸、奥正面は徳川家康公像


本丸より天守門を見上げる


本丸南側


野面積みの石垣


門脇の鏡石説明板


石垣


本丸曲輪から見る天守門


八幡台


井戸(城内にはかって10本の井戸があったそう)


正妻築山御前と嫡子信康の説明


城郭の全容


陣笠・長刀の展示


鞍・陣笠・陣羽織の展示


展示物、刀剣


展示物、甲冑


浜松城公園案内板


二の丸跡説明板


本丸へのスロープ


本丸説明板


二の丸説明板


本丸北側


天守門


富士見櫓


浜松城跡説明板


本丸より見た天守閣入口


八幡台


井戸(銀明水)


刀剣の展示


安政年間の浜松城略絵図


鉄砲類の展示


展示物、甲冑


城下町浜松の説明


天守最上階より天守門を望

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