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ベイシー写真館

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徳島城博物館

徳島城博物館、書院造りの立派な建物です。入場料は300円。館内は全て撮影禁止なのでここはパス(今迄何回も行ってるんでね)。


徳島城北東角の数寄屋橋、隅櫓、旗櫓の模型。


旧寺島川(今はJR線路)沿いの折れ曲がり塀、今も石垣の一部や塀の突き出た部分の土台を受ける石垣から出っ張った舌石が残っているそうですが、石垣の上は草ボウボウでJR敷地に入らないと撮れないので断念。現在は雑草やヘドロの小さなドブ川です。

アクセスカウンター

このジオラマは、貞光工建築科の生徒が作ったもので、撮影するにはここの学校の許可が必要だそう。手前が三木郭(くるわ)、右が鷲ノ門、左ちょこっと見えてるのが番所馬屋、正面が下乗橋。左手の川は今は無い寺島川(今はJRの線路です)。


屏風櫓より月見櫓。


徳島城表御殿庭園(国指定名勝)

 阿波・淡路25万7千石の大名蜂須賀家の居城であった徳島城表御殿に設けられた庭園。茶人武将上田宗箇の築庭とされます。枯山水と築山泉水庭から構築された回遊式の庭園で昭和16年に国の名勝に指定されました。
 南に位置する枯山水は大きな石を大胆に使用した庭園で、特に長さ10.5mの青石で作られた石橋は圧巻です。また桃山時代に大名が好んで用いた蘇鉄が17株現存しています。
 北側の築山泉水庭は、江戸時代には東の堀から水を引き入れていたため「潮入り庭園」と呼ばれています。
 池のほとりにある枯滝と島々の石組みは見応えがあります。
 庭園パンフレットより抜粋


奥のマンションの住人さん、毎日綺麗な庭園見まくり、羨ましいかぎりです。


御影石をくりぬいた井戸。


花崗岩のくり貫き井戸、旧藩時代の井戸で、下部は緑泥片岩積み、当時いかにして水を吸い上げたかは不明。


枯山水庭園の切石橋。御影石を加工した豪華な切石橋少しカーブして実に見事な橋です、長さは6m。桃山様式の庭園のため橋が多用されているそう。


枯山水庭にかかる、初代藩主至鎮公、踏割の伝説がある長さ10.5m、重さ約13トンの自然石橋(緑泥片岩)。至鎮公の踏割石・地団駄橋ともいわれているそう(途中割れ目があります)。


御祠堂跡、儒教方式の藩主墓所「万年山」と連動し安永9年に設けられた先祖の祠堂があった処、以前は梅見茶屋があった。


北東角にある観音堂跡、藩主が暮らした御殿の「鬼門」(北東)にあたるので観音堂を設けたそう。


徳島城のものと思われる鯱瓦。


柏槇(びゃくしん)、仙人を象徴する樹木。昔は数多く確認されていましたが、現在はこの1本のみだそうです。


黒碁石、鳴門の碁の浦海岸産出の石。江戸時代は使用することが禁じられた「お禁め石」。

国指定重要文化財。徳島藩主が使用した鯨船という型の船。大名が用いた船として現在に残る唯一のもの。


表御殿庭園案内板


旧藩時代の土塀。


千山丸を保管していた倉庫。外装の板張りは古写真やジオラマの通り建物はこんな感じだったのでしょうね。


庭園から城山を望む。正面この山の中腹あたりに東二の丸(天守)があったんでしょうね。せめて石垣の周りの木、切ってもらえんかな〜。


心字池、草書体の心という字形に似せて作られているそう、地下樋道(現在は不通)で内堀と繋がっていて潮の干満で水位が変わるので藩主は居ながらにして潮の満ちひきが分かったそうです。


心字池


東部築山の陰陽石。子孫の繁栄を祈る祈願石でこの石はまた髑髏にも見立てられ、穴の内側に耳をよせると地獄の釜のたぎる音が聞こえるとも言われているそう。左に矢穴跡が見えるけど途中で止めたのかな?


旧藩時代の花崗岩のくり貫き井戸、当時いかにして水を汲み上げたかは不明。


三尊石、三尊仏を見立てた石。


紫雲石、眉山麓の本玄寺から切り出された紅簾片岩。江戸時代は使用することが禁じられた「お禁め石」。

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