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ベイシー写真館

吉野川市 川島城(かわしまじょう)

 阿波九城(川島城)参照

川島町 上桜城(うえざくらじょう)

山城
史跡県指定史跡
別名植桜城・川島南城
所在地徳島県吉野川市川島町桑村
この城は戦国時代の末、篠原紫雲長房がその実戦の経験を生かして、この天然の要害を築いた。この城からは川島や吉野川が手に取るように見える。山頂の本丸は、二の丸、三の丸を廻らし、西の丸は東西が絶壁で南北に空掘を作っている。篠原長房は義賢の妻小少将や木津城主篠原自遁の讒言に遭った。元亀3年(1572)主君三好長治はその弟十河存保と共に阿波・讃岐・紀州・淡路の兵7千を率いて上桜城を攻撃、7月16日城兵全員が壮烈な戦死を遂げ、落城した。なお篠原長房・長重父子の首塚が阿波市教委が建てた塚が伊澤神社(伊澤城跡北)にあります。
南北朝初期
篠原右京進(紫雲)長房
県道脇の案内板上桜城の石柱古城本丸へ向かう
帯郭脇にある手水鉢
掘切
古城本丸の虎口古城本丸跡上桜城跡案内石板と上桜神社本丸から見た川島市街
上桜城、新城本丸跡篠原右京進長房の墓上桜の戦いで散った
戦没将士の墓
篠原長房父子の首塚
阿波市伊澤神社にあり

鴨島町 内原城(うちはらじょう)

城の形態平城
別名蓮池城
所在地徳島県吉野川市鴨島町内原
規模100m×150m
城の歴史清助は天文21年(1552)、勝瑞城細川持隆が三好義賢に攻められて自殺した時、後追い自殺した。その後、石田彦六が城主となったが、孫の菊太夫吉近は、天正7年(1579)脇城外の戦いで戦死。
築城年代天文年間(1532〜55)
築城主蓮池清助
主な城主石田彦六
城の現状城跡は荒神社とその周辺、祠が残るのみ。
この荒神社から北、国道192号線までの約150mが城跡。
飯尾城跡と言われる荒神社
ここから北へ国道までの間
城主を祀る祠

鴨島町 山島城(やましまじょう)

城の形態平山城
別名カイドウの城(甲斐殿の城)
所在地徳島県吉野川市鴨島町敷地
規模60m×325m
歴史西麻植城は工藤氏の居館であり山島城はその詰城であったと言われている。
築城年代戦国末期
築城主工藤甲斐守
城の現状シダ・雑木の繁茂により曲輪の確認は出来なかったが、櫓台状の高まりや切岸らしきものは確認できた。東200m程の処に11番藤井寺→12番焼山寺へのへんろ道がある。
城址と言われる尾根先端櫓台状の高まり切岸東200m程にある
遍路路(至藤井寺)
東200m程にある
遍路路(至焼山寺)
焼山寺への遍路路

鴨島町 西麻植城(にしおえじょう)

別名大木城
所在地徳島県吉野川市鴨島町西麻植字中筋
城の歴史
城の現状未登城

鴨島町 飯尾城(いのおじょう)

城の形態平城
所在地徳島県吉野川市鴨島町飯尾字宮ノ前原緑
城の歴史建武3年、阿波国麻植庄西方総地頭飯尾隼人佑吉連は北朝方足利尊氏軍の細川頼春と共に一宮城や夷山城を攻め、これを滅ぼした。天正7年(1579)に飯尾久左衛門が脇城外で、兄善之丞常重は天正10年中富川合戦で戦死、末弟羽知左衛門利隆が性を石原と改めて藍商として栄えた。
築城年代建武3年(1336)
築城主飯尾隼人佑吉連
城の現状吉野川市飯尾の飯尾神社がその城跡である。遺構は神社と鎧塚のみ。
飯尾神社飯尾神社拝殿飯尾神社拝殿石板の前に立つ
小さな石が鎧塚
飯尾常房の墓

鴨島町 飯尾東城(いのおひがしじょう)

城の形態平城
所在地徳島県吉野川市鴨島町飯尾字掘り
規模80m×80m
城の歴史麻植志摩守は徳島市の宮井城城主麻植遠江守の子、脇城外の合戦で飯尾久左衛門とともに討ち死。
築城年代戦国期
築城主麻植志摩守
城の現状民家の脇を通り抜けて草を掻き分けながら約100mの処に飯尾東城跡がありました。「徳島県の中世城館」によると実際の城跡は2枚目の写真の奥の民家の向こう側、飯尾川の対岸だそうです。
飯尾東城跡石柱麻植氏発祥之地、飯尾東城跡

鴨島町 中島城(なかじまじょう)

城の形態平城
所在地徳島県吉野川市鴨島町中島字片山
城の歴史城主の片山岸右衛門は天正10年(1582)中富川で戦死。
築城年代鎌倉初期
築城主片山岸右衛門
城の現状
中島城跡

山川町 青木城(あおきじょう)

城の形態平山城
史跡市指定史跡
別名瀬詰城・喜来城
所在地徳島県吉野川市山川町古城
城の歴史市原氏の祖先は下総国市原郷の人で、南北朝の頃足利尊氏に従って功をたて、牛岐(阿南市)の城主となった新開遠江守直行の子孫である。兼行は旧姓の市原を名乗り代々造酒正と称し、約2百年間、瀬詰(青木)城主であった。天正7年(1579)市原造酒正兼隆は主の川田城主土肥新左衛門に従って岩倉合戦に破れ、ついで長宗我部に城を焼かれ、高越山の麓の加久で自害した。
築城年代天文年間(1532〜55)
築城主市原石見守兼行
城の現状
青木城跡青木城跡青木城跡石碑城主を祀った「城主神社」
城跡北の蛍川との絶壁元堀跡から櫓台を見上げる大師堂

山川町 井上城(いのうえじょう)

城の形態館城
史跡市指定史跡
別名川田城・泉屋形
所在地徳島県吉野川市山川町井上
城の歴史この井上の地に川田城を構えたのは、足利氏の一族細川頼有の一族、常有が宝徳2年(1450)にこの地に城を構えて泉館と称した。常有ー政有ー元有ー元常と四代続いたが元常の時代に代官谷氏が謀反をおこし、讃岐の神埼城主土肥綱真にこれを討たせ、丹治常直を代官に、綱真を留守居として守らせた。天正7年(1579)の脇城外の戦いで城主土肥紀伊守秀美は出陣して戦死、その後長宗我部に攻められて井上城は落城した。
築城年代宝徳2年(1450)
築城主細川常有
城の現状
井上城跡井上城跡土肥紀伊守庸吉と
土肥右衛門尉昌秀(右)の墓
明王院
明王院明王院左の宝篋印塔は隅飾の
形式では鎌倉期のもの

美郷 陰城(かげじょう)

城の形態平城
所在地徳島県吉野川市美郷字穴地
城の歴史
築城年代鎌倉初期
築城主河村小四郎
城の現状未登城

鴨島町 鴨島城(かもじまじょう)

所在地徳島県吉野川市鴨島町鴨島本郷
主な城主鴨島六之進
城の歴史鴨島六之進は天正7年(1579)脇城外の合戦で討ち死に、程なく落城。
城の現状城跡とされるのは今はJR鴨島駅すぐ南の大きな元病院の跡地。

鴨島町 森藤城(もりとうじょう)

所在地徳島県吉野川市森藤
別名麻植保司庁・平康頼庁
築城主平康頼
城の歴史文治2年(1186)7月、麻植保司に任命された平康頼の保司庁跡。この地方の司法・行政を司った。晩年は職を嫡子清基に譲り、自ら照性法師と号した。
城の現状城跡推定地は現在はっきりとはしないが畑になっている。城跡地の南、字坂口に康頼神社がある。
城跡推定地付近康頼神社康頼神社由来神社横の五輪塔3基
神社上にある徳島県指定
天然記念物「壇の大クス」
大クス横の平康頼記念碑

鴨島町 城ヶ丸城(じょうがまるじょう)

所在地徳島県吉野川市森藤向原
築城主平康頼
城の歴史
城の現状
竹林より南(奥)が城跡城跡北にある小祠康頼神社

鴨島町 原城(はらじょう)

所在地徳島県吉野川市鴨島町牛島字岸ノ上
城の歴史城主は渡辺源左衛門、天正10年(1582)落城。
築城主渡辺源左衛門
城の現状城址は、鴨島町東部、江川と飯尾川により形成された標高15m前後の沖積地にあり、根井城の南東500m、伊予街道(国道192)の北200mにある。
原城城跡推定地(手前の農地)

鴨島町 根井城(ねいじょう)

所在地徳島県吉野川市鴨島町牛島字城ノ内
築城主根井伊賀守 → 稲垣監物
城の現状JR麻植塚駅の北約200mに城跡あり、すぐ北に江川が流れている。跡地はすべて田畑である。
城址推定地城跡東にある稲垣神社稲垣監物碑

鴨島町 乗島城(じょうじまじょう)

所在地徳島県吉野川市鴨島町喜来字乗島
城の歴史城主は乗島入道来心、中富川の合戦で討ち死。
築城主乗島入道来心
城の現状吉野川の支流であった江川南岸の沖積地。城跡は杉尾神社の東が伝承地。
杉尾神社杉尾神社乗島入道来心の墓

鴨島町 知恵島城(ちえじまじょう)

所在地徳島県吉野川市鴨島町西知恵島
城の歴史城主は知恵島源次兵衛、中富川の合戦で討ち死。
城の現状城跡は吉野川の市場町伊月と鴨島町西知恵島との境界付近で、現在は吉野川本流の流れに埋没。

川島町 桑村城(くわむらじょう)

所在地徳島県吉野川市川島町桑村
築城主桑村隼人亮
城の現状未登城

川島町 学城(がくじょう)

所在地徳島県吉野川市川島町学字大戸井
城の歴史城主は、工藤丹波守、天正年間に長宗我部氏により落城。
城の現状詳細な所在地は不明

山川町 億代城(おきだいじょう)

所在地徳島県吉野川市山川町翁喜台
築城主土井右衛門督
城の歴史
城の現状詳細な所在地は不明
城跡推定地付近

美郷  四ツ松城(よつまつじょう)

所在地徳島県吉野川市美郷字四ツ松
築城主林翁九郎
城の現状未登城

美郷  宮田城(みやたじょう)

別名種野山城
所在地徳島県吉野川市美郷字峠
築城主明石某、某四郎兵衛
城の現状未登城

美郷  宗田城(むねたじょう)

所在地徳島県吉野川市美郷字宗田
築城主宗田備前守
城の現状未登城

美郷  別枝城(べっしじょう)

別名平城
所在地徳島県吉野川市美郷字平
築城主明石掃部
城の現状未登城

美郷  城戸城(じょうどじょう)

所在地徳島県吉野川市美郷字城戸
城の歴史城主は財田權守、他詳しいことは不明
城の現状詳しくは不明

美郷  雁又城(かりまたじょう)

所在地徳島県吉野川市美郷字古井
城の歴史城主は古井泉左衛門、他詳しいことは不明
城の現状城跡は、美郷と神山に抜ける壁岩峠の東標高899mの山頂部。

美郷  倉羅城(くららじょう)

所在地徳島県吉野川市美郷字古井
城の歴史城主は倉羅権守、他詳しいことは不明
城の現状城跡は、美郷と神山に抜ける壁岩峠の東標高930mの山頂部。

参考文献「日本城郭大系」第15巻、香川・徳島・高知編、徳島県教育委員会「徳島県の中世城館」

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